塚田こども医院

日誌(更新記録)2001年3月

2001.3.30(金)

◇敷居は低いままです 

昨日、質問は本名でとお願いしましたが、「敷居が高くなるのはどうか」といったお話がありました。

このHPは、気軽に訪れていただきたいと思っています。気むずかしい話はしたくありませんし、本音で語り合えるところがいいとも考えています。一方的に私かたお伝えするだけではなく、読者の方からの声もできるだけ掲載したり、反映させていきたちと考えています。

質問のコーナーも、できるだけ多くの方に、気軽に利用していただいてけっこうです。緊張しながら送信する必要はありません。私もわりとフランクに、思っていることをそのまま書いていますので、どうぞ「敷居が高い」などとお考えにならないで、これまでと同様におつき合い下さい。

でも、質問をお寄せいただくときだけは本名でお願いしたいのですが、いかがでしょうか。他の感想、メール・マガジンや感染症情報の送信申し込みなどは、メール・ネーム(?)でもかまいません。

◇ご一報下さい

昨日、「上越市・飯塚様」より、メール・マガジン送信のご依頼がありました。こちらから返信するのですが、戻ってきてしまいます。アドレスが違うのでしょうか? お心当たりの方、もう一度ご連絡下さい。

2001.3.29(木)

◇匿名・無名の質問は困ります 

読者の方の質問にお答えしています。これからもできるだけ続けるつもりですが、いくつかお願いがあります。

・お名前は本名でお願いします。
・お子さんの年齢も書いて下さい。
・HPにすでに書いてあるものもあります。できましたら、ざっとHPの中をご覧になって下さい。
・その後の経過などを、またメールいただけるとうれしいです。

質問はHPの「送信用のページ」から送っていただくのが一番良いのですが、うまく送信できないようでしたら、同じ内容を普通のメールで私宛に送っていただいても結構です。(同じアドレスになっていますが、私的なメールなどとごっちゃになることもあり、できればHPのページから来ていただくと確実にお返事を差し上げられます。)

実はこんなお願いをするのは、不粋でいやなのですが・・質問だけが書いてあって、どこのどなたからのものかが分からないメールを散見するようになったからです。私にとっては診療がメインの仕事ですので、できるだけ短時間に、集中して質問にお答えしようとしています。ですので、「名無しのゴンベイさん」からのメールが続くと、どうしても力が入りません。よろしくお願いしますね。

2001.3.28(水)

◇スタジオでおしゃべり・・ 

昨日は、地元FM局で2週分の収録をしてきました。ふー。話すって、疲れますね。

子どものころから喉が弱く、話し続けているとすぐしわがれ声になります(一番は、カラオケのあとですが・・)。元気に声が出ているときは調子がいいのですが、声がかれてきていることが自分で分かると、とたんに元気が出なくなります。

小児科医になって、しかも一日中外来で話し続けることが仕事ですので、そんなことにもずいぶん慣れてきているはずなのですが、今でもそうです。昨日も2本が限界。

相手をしてくれているパーソナリティーの方(近藤明日香さん)は、この収録の前に、3時間の生放送を終えたばかり。そのまま話し続けていて、大丈夫かなと思いましたが、そんな心配はいらないようです。最後まで、突っ走っていました!

さあ、出来映えはどうだったでしょうか? 自分の声を聞くのは恥ずかしいものですね。地元の方にしか電波が届かないことに、感謝しています・・

2001.3.27(火)

◇これからFM局にでかけます 

今日はこれからFM-J(エフエム上越という地域のコミュニケーション放送局)にいって、収録してきます。

4月から、毎週月曜日(午前9:10〜)15分ほどのレギュラー番組を持つことになりました。名付けて「Dr.ジローのこども相談室」・・ちょっと気恥ずかしいのですが、ここは「清水の舞台から飛び降りる」気持ちで、突っ走ってしまいましょう!(まあ、いつものことかもしれませんが)。

この時間はもちろん診療中なので、録音でお送りすることになりました。最初は、出勤前に寄って、7時半ぐらいから生でオン・エアーしよう、なんて「無謀」な話もあったのですが、放送時間が変更になって内心ほっとしています。

今日は2話分を収録してきますが、さあ、何をお話ししようか・・行く車の中で考えることにしましょう。(行き当たりばったりもいつものことか・・。この習性は死んでも治りそうになりませんね!)

2001.3.26(月)

◇千葉県知事は私の「知っている人」 

昨日の千葉県知事選挙で、新人の堂本暁子さんが当選されました。形は無所属ですが、「さきがけ」の国会議員を辞職して出馬しました。・・ところで、「さきがけ」という政党がまだあるのはご存じでしたか? 当初は「ムーミン・パパ」が党首をしていて、優しそうなイメージの党でした。そのためか、地盤沈下をして、もうあまり存在感がなくなってきてしまいました。やっとここで、一花咲かせましたね!

堂本さんとは、一度だけお会いしたことがあります。彼女がまだTBSの記者をしていた頃。私の勤務医時代ですから15年ほど前でしょうか。町の乳児健診に出かけていくと、取材で彼女がきていました。ちょうど子どもたちの生活や健康が問題になっていたころで、彼女は東北や北陸などの子どもたちの取材をしていたようです。インタビューを受けたのですが、何を話したか、よく憶えていません。そして、そのあとのニュース番組では、私の部分はしっかりボツになっていました・・

もともとTBSは報道に力を入れているTV局ですし、堂本さんも「社会派記者」で腕を鳴らしていました。政界進出後も、進歩的な考えで政策をまとめているような印象がありました。

堂本さんが国会議員を辞職したのを受けて、「さきがけ」の比例順位の次の方が繰り上げ当選されます。この方は、黒岩秩子さんで、新潟県大和町の方です。実はこの方も、多少「知っている人」です。彼女の夫は長い間、大和町立病院の院長をされていました。ここは、「保健・医療・福祉」をトータルで築いていこうという先駆的な仕事をしてきたところです。私も学生当時、毎年夏休みに1週間ほど泊まり込んで、勉強させていただきました。そこの院長先生の奥さんです。

黒岩先生は病院長を退職されたあと、町長選に立候補しましたが、惜敗し、現在は開業医として仕事をされています(老人の在宅介護などでは、日本のオピニオン・リーダーとして活躍中です)。秩子さんは、私がよくおじゃましていた頃は保育園の保母さんをしていましたが、その後、不登校児の施設などを作ってこられました。その方が国会議員になられるのですから、うれしくなってきます。

これで、私にとって永田町が身近に感じられます!

ところで、堂本さん。昔お会いしたころも体重が多めでしたが、最近TVでお見かけすると、以前よりも肥えていらっしゃるような。ぜひ体重のコントロールをされ、長野の田中知事を超える手腕を発揮されることを期待しております。

アクセス数15,000件を越えました。多くの方にお越しいただき、ありがとうございます!

2001.3.23(金)

◇保育園は私の夢・・ 

私のルーツ(?)は保育園です。

学生結婚で、上の子が産まれたときも、まだ学生をしていました。当然(!?)、妻に働いてもらわなければいけなかったわけですが、小さい子を見てもらえる施設がなく、やむなく「共同保育園」を作りました。ちょうど同じころに生まれた3人の子どもたちの親が集まり、保母さんをお願いし、教職員住宅の一室を借りて始めました。その運営にも関わりましたし、保母さんが休んだときなどは、私が授業を休んで「一日保父」をしていることもありました。大変でしたが、みんな懐かしい思い出です。

そして、「子育て」について身をもって学んだ時期でもありました。小児科医になる前に父親であり、少しだけ保父の経験もしていました。

ということで、私の夢は保育園を作って、子どもたちといつも一緒にいること、でした。そんなことができるわけないし、ずっと自分の夢であることすら忘れていました。でも、「病児保育」のことを知ってからは、小児科医である私がこの夢を、最も小児科医らしく実現できるのではないのかな、などと思うようになりました。

実は数年前から暖めていた構想でしたが、なかなか実現にこぎ着けられずにいました。今回は、思い切ってジャンプ! いろいろな条件を整備しなければいけないけれぼ、でも「イヤなこと」、「つらいこと」、「大変なこと」などとは全然考えていません。やはり私の「夢」に実現のためですから。

さあ、どんな保母さんが来てくれて、どんなふうに役にたてるか、これから内容を大きく膨らませようと考えています。

2001.3.22(木)

◇病児保育室を始めるよ。保母さん募集! 

先日来、悩んでいた「病児保育」ですが、思い切って6月より実施することに決めました。その内容、方法など、ノウハウを煮詰めなくてはいけないのですが・・ 走りながら考えるのはいつものこと。議論ばかりしていても仕方ない、さあ前進あるのみ!・・こんな考えで、よく失敗するのですが、まだ懲りない性分です。

施設については、以前は医院の脇に新築しようと設計士さんと打ち合わせもしたのですが、実際にスペースがどれくらい必要なのか、やってみなければ分からないですね。ニーズが相当大きいようにも思います。そうなると、せっかく建ててもま増改築が必要になるかもしれません。あるいは逆に、そんなに大きく作る必要がなかった・・などということも起きかねません。

さあどうしよう・・と考えていたら、「!」ひらめきました。そう、医院の2階部分が相当空いているのです。平成2年の開院当初は、「住み込みの医者」をしていました。その後、自宅を移したあと、院長室、会議室、更衣室、休憩室など、業務用のスペースとして使用していましたが、まだ余裕があります。その一部を使えば、立派な「病児保育室」ができそうです。

まずは定員4名程度で始めて、やる中で、どの程度の規模が適当なのか、あるいは必要なのかを見極めていこう・・そういった方針でいくことにしました。そうなると、建物や施設についてのハードルはほとんど無くなるので、いつでもスタートできる状況です。

そう考えると、気持ちの負担が思いっきり小さくなりました(ついでに、お財布の負担も・・)。つぎは保母(保育士)さん。まずは2名を採用し、6月のスタートまでは、医院で研修をつんで、「病気の子どもたちの保育」について内容を豊かにしておきたい。昨日、ハローワークに求人の申し込みをしたところです(4月15日面接予定)。さて、どんな方が応募してくれることか、楽しみです。

でも、内心はハラハラ・ドキドキ・・ 「病児保育」の歴史はまだ浅く、全国をみても整備はこれからです。多くは、小児科医のボランティア精神に支えられて実施されています。「子どもたちのため」「働くお母さん方のため」と大見得をきっても、はたしてどこまでできるか。

まあ、もう「やるよ!」って手を挙げてしまったので、悩んでいても仕方ない。「やる・やらない」の議論はもう卒業。「どうやるか」の議論をしていきますね。さあ、みなさんのご要望やご意見をいろいろと聞かせて下さい。

2001.3.19(月)

◇忙中「忙」あり(?) 

先週末からちょっと忙しいスケジュールです。17日(土)は、新潟市民病院で私がお世話になった小田良彦先生(副院長)の退職を祝う会に出席。18日(日)は、東京で勉強会に出席。夕方はしばらくぶりに息子に会って、買い物と食事をしてきました。(小田先生は私を小児科医にしてくれた恩師です。大変にユニークな方ですので、いずれご紹介しますね。)

さあ、今日は飛び石連休の真ん中。予定通り、混み合った外来でした。

そして、これから医院の送別会。当院で一番長くお仕事をしていただいたベテラン看護婦さんが、ご主人の転勤のために退職されることになりました。ということで、そろそろ出かけないとみんなにしかられるので、今日の日誌はこれにて終わり。

では、行ってきま〜〜す。

2001.3.16(金)

◇私もおじいちゃん? 

こんな田舎でも最近、若いママさん(ヤンママって言うんですよね)を見かけるようになりました。昨日の健診のときは、昭和55年生まれのママさん。ウチの息子(54年生まれ、21歳)よりも若いと感心していたら・・57年生まれのママちゃんも! ウチの上の娘(56年生まれ、19歳)よりも若いぞ!!

私も歳をとるはずです。そろそろ孫の世話でもしようかな・・ 隠居して好々爺(こうこうや)になるのが私の夢! 

でも、なかなか現役を引退させてくれそうにありませんね。借金もいっぱいあるし、まあしばらくは頑張りましょう・・

2001.3.15(木)

◇おじさんは怒ってるぞ! 

いったい国会では何が行われているんでしょう。M首相は退陣すると言っているのか、しないと言っているのか。いい加減に狸の化かし合いは辞めましょう! 国民にはっきり物事を伝えられない(あるいは、外側の言葉だけで、肝心の中身がない)からこそ、M首相ではダメだとみんなが考えているわけでしょう? それがどうして分からないのでしょう。

M首相が選ばれたのも、少数の政治家が密室で決めたこと。広く国会議員の中でオープンに議論されて決められたわけではありませんし、まして、国民の中で論議がわきおこったわけではありません。まだに「お上の決めたこと」。その旧態依然たる政治姿勢が問われている・・ということに、まだ気づかないんですね。「懲りない政治家」がまだまだいるもんですね。

自民党、公明党、保守党が連立を組んで、与党を担っています。その中の人たちは、M首相には困ったものだ、と考えてることでしょう。早く辞めてくれないかと。・・でも、ちょっと待ってほしい。首班指名で「M首相」を選んだのは、紛れもなく与党の議員です。衆議院の不信任案、参議院の問責決議案にいずれも反対し、「M首相信任」と手を挙げたのは、誰でもないあなた達です。自らが首相を選び、その内閣を支持していながら、自分たちは被害者だと言わんばかりの態度をとっているのは、おかしくはないですか?

政治の世界にどんな論理があるか分かりません。それに照らせば、建前では「信任」し、本音では「辞職」を促すという行為が正当化されるのかもしれませんが、でも、そんな支離滅裂なことが許されていいはずはありません。それは、その「政界の論理」がおかしいのです。自分たちのもっている定規が狂っているのだと、思い至らないような政治家には、もう政治を担ってほしくはありません。

おじさんは、呆れて物が言えなかったのですが、久しぶりに怒ってきましたよ! 血圧が上がってくるので、もうこの辺で辞めますね。

2001.3.14(水)

◇便秘改善! 

先日来いただいていた質問とそれに対する回答を、「Q&A」のコーナーに一挙に19点!掲載しました。今月に入ってからためていたものです。(「暖めていた」と言えば聞こえはいいですが、「冷めたピザ」状態というのが本当のところでしょう。)「読者のページ」も今月分を掲載しました。合わせてご覧下さい。

先月、地元紙「新潟日報」にこのHPを取り上げていただき、その後、質問などが多く寄せられました。ちょうどインフルエンザの流行もあり、診療も忙しくなっていました。お答えはできるだけ遅れないように書いていたのですが、HPへのアップまでは手が回りませんでした。これで気になっていた「宿題」がやっと一段落。

まるで、便秘でつらかったのが、一挙に出て楽になったような心地よさ。・・汚い話ですみません。まあ、ヨダレとオシッコとウンチにまみれている小児科医ということで、ご容赦を。

2001.3.13(火)

◇HPコンテスト優秀賞! 

(財)日本電信電話ユーザー協会主催の「ホームページコンテスト」(新潟県)において、このHPが「企業の部・優秀賞」をいただきました。詳しくはこちら

受賞理由には、「薬剤に関する詳細な情報、地域医療との連携、癒しの部分まで幅広く情報提供されている点に見識の幅広さを感じます。また更新が毎日行われておりインターネットの特質をよく理解して運営が行われている点を評価いたします。」とあります。HPの開設から1年半ほど続けてきたことを、このような形で評価していただき、大変光栄です。

ちなみに副賞をいただきました。テレビ付き電話を2台! 新しい物好きの私のこと、とてもうれしいのですが、でもどう使おうか、はたと困っています。遠くにいる子どもの所に送ろうかな・・でも、嫌がられそう。なにしろ、財布の中がなくなったときしか電話をしてこない息子だから。職員に、1台持っていって遊ぼうよと声をかけましたが、見事に振られました。当たり前ですね。

TV電話になると、電話に出る前に化粧をしてから・・なんてことになるかな? 家の中でもコードレス電話機や携帯電話を使っていて、立ったり歩いたりしないで電話をすることができます。(携帯などの普及と、糖尿病の発生増加のグラフが見事に一致します。運動不足が病気の原因の一つだとか。先週、うちの学長が講演の中で言っていました。)そんな中で、TV電話は普及するのかな??

でもこのTV電話を診療に役立てている先生がおられます。私の敬愛する新潟県加茂市の五十嵐先生です。嘱託医をしている保育園に1台おいてあり、もし園児の具合が悪いときには、そのTV画像を使って、ある程度病気の種類や病状の程度を知ることができるのだそうです。(彼もけっこう新しい物好きですが・・)そんなことも「子育て支援」かもしれませんね。

さあ、貰ったはいいけど何に使おうかな、このTV電話。アイデア募集! そうだ、コンテストをしましょうか?

2001.3.12(月)

◇病児保育 

連休明けの月曜日、外来は予想通り混んでいました。インフルエンザの流行も中規模で起きていますし、溶連菌感染症、おたふくかぜなども少なくありませんでした。お昼の時間に定例の職員ミーティングをしたので、余計にバタバタ・・

今、院内の話題(課題?)は病児保育についてです。病気になった子どもたちを、親に代わって保育しようというものです。とくに共働きや自営業の家庭では切実な問題ですね。医療費の補助とならんで、とても大切な「子育て支援」でしょう。全国的には少しずつ増えてきていますが、まだまだ全体数は足りません。

当院のある上越市には、市が2つの「病後児保育室」を設けています。しかし、利用者は両者とも1日1人以下で、まだまだ十分に機能していません。もちろん、そんな必要がないのならけっこうなことですが、そんなことはないでしょう。市民のニーズに応えていないからだと考えています。

それは、「病気の回復期の子ども」が対象だからです。病気の急性期の手助けができないわけです。あるお母さんが、「少し具合が良くなったら、保育園にお願いすれば面倒を見てくれます。そのために普段から保育園と良いコミュニケーションをとるようにしています」と話されました。つまり、保育園の努力によって、ある程度「病後児保育」ができているわけです。必要なのは、「急性期の子ども」、つまり本当の意味での「病児の保育」です。

それを実現するには、小児科医の目の届くところで保育する必要があります。つまり、私のような小児科医院に併設する形で、この病児保育を行うべきだという結論になろうかと思います。

しかし、実現までにはいろいろなハードルをクリアーしなければいけません。人(保母、看護婦などのスタッフ)、ハード(施設、設備、備品・・)、ソフト(運営方法など)、そしてお金です。・・今、少しずつイメージをはっきりさせ、膨らませています。少し形が見えてきて、これまで私たちにとっては遠い存在だった「病児保育」が、だんだんと近い存在になっていきました。

もう少し議論を深めて、そして早くにスタートしたいと考えています。まあ、走りながら考えることは得意ですから。・・次の世界を担う子どもたちのためなら、労苦はいとわないつもりです。それができるとしたら、地域の中で働く小児科医としては「本望」です!

2001.3.9(金)

◇3月の雪 

今日はたっぷり雪が降りました。お昼休みに、ブルトーザーを頼んで駐車場の除雪。もう今年はないだろうと思っていたのですが、甘い見通しでした。でも、これが最後の除雪になることを祈っています。

今週はインフルエンザの流行で右往左往していました。(「右往左往」という言葉は、M総理によって有名になったので、あまり使いたくないのですが)極めて短期間の間に、多くの患者さんが発生するので、その体制を作るのが大変です。普段はのんびりとした外来も、さながら「野戦病院」。もしかしたら、本当に大砲の弾が飛んでいるんじゃないかって思うぐらい・・

さて、明日は第2土曜で休診です。私は、近くの「上越地域医療センター病院」開院1周年行事で出かけています。私の出身大学の学長がその記念講演に来られるので、おつき合いです。

2001.3.8(木)

◇懐かしき初対面 

また雪になっています。もう春になりそう・・なんて思っていたら、また逆戻りでした。でも、本格的に降るのは、これが最後になるかもしれませんね。

今日の健診で、「初めて」であって「初めてでない」方とお会いしました。何のことか分かりませんね。ネット上で、私のHPによくお出でいただき、質問などもいろいろとやり取りしている方です。お子さんの受診は、今回の健診が初めてで、その意味で初対面になったのですが、でももうすでにネット上では「お知り合い」ですので、変な違和感がありますね。メールではいろいろと書いているのですが、直接お顔を会わせると、話しづらいものがありました。なんだか、長い間の「ペンパル」が初めて会ったようなものでしょうか。

先ほど感想をお寄せいただいたのですが、いっしょに来られていたおばあちゃんに、「なぜ院長は白衣を着ないのか、半袖でいるのか」説明して下さったのだそうです。初めての受診にして、もう当院のコンセプトを理解していただいており、ありがたいことです。こんなことも、ネット上のおつき合いあってのことなのでしょう。

ネットというと、バーチャルな世界ですが、でも、もしかしたら、じっくりと時間をかけ、丁寧に物事を進めていていくと、直接の人間関係ではできないものがうまれるような気がします。・・ちょっと言い過ぎかな。直接の関係ではまだ不十分なものを補完してくる、ぐらいにしておきましょう。

2001.3.7(水)

◇免許証更新 

今日、新しい運転免許証をもらってきました。即日発行のところも多くなっていますが、ここは田舎で、1か月もかかりました。そして手にしたら、これがかわいいの! 以前より一回りちっちゃくなったんですね。どうやらキャッシュ・カードと同じ大きさになったようで・・いずれ、買い物のときにレジでこの運転免許証を出してしまいそう。あわてんぼの私はきっとするでしょう。

今回もゴールド! 「優良」になるのは、確か3回連続。これでまた5年間有効です。(こんなことは自慢にならないか・・ いや、こんなことしか自慢にならない・・ なんか、情けなかったりして)

優良だと、講習は事実上なし。(手続きのとき、「ビデオを見ていて下さい」と言われたけれど、誰も相手をしてくれなかったので、iModeでメールして遊んでいました。)通常の3年の期限が5年間に。そうなると、やっぱりゴールドをねらわなくっちゃ! (どうも警察庁の思い道理になっているような気もするけれど、まあいいか。)でも、道路交通法が変わると、一般の(!)免許も5年になる一方で、ゴールドはそのまま据え置き。なんか意味がなくなりそう。せっかく「捕まらない」ようにしてきたのに!

でも、正直にお話しすると、今回は1回「捕まって」います。免許証不携帯。何千円かを支払いましたが、幸い減点はありませんでした。「捕まって」何が心配かといえば、「金メダル剥奪」(?)でした。

1975年(昭和50年)に免許を取っていますので、足かけ25年! これは松山千春の歌手生活と同じ期間です。記念すべき25周年を無事故・無違反(ではないな、小違反)で迎えられたことを喜んでいます。

それにしても、こんな運転免許証ですら数年単位の更新があるのですから、医師免許にもあって当然!・・などという話がでてきたら、大変。ちゃんと勉強してますから、大丈夫ですよ!

2001.3.6(火)

◇インフルエンザ流行中・・ 

千春の話で遊んでいる内に、インフルエンザの流行が始まりました。2月の終わりから少しずつ患者さんが発生し、今週はずいぶん広がりました。

例年は1月の中〜下旬に始まり、2月いっぱい、A香港型→Aソ連型が流行ります。3月〜4月の春先は、B型が流行するため、2つの山ができるのが普通です。今年は最初の1、2月の流行が皆無。3月にA型の流行が始まるという、異例の年です。ここにB型が加わると、とんでもない大流行も考えられるのですが、大方の予想では、A型の流行が遅い年はさほど大きな流行にはならないとのこと。ぜひそう信じたいですね。

2001.3.5(月)

◇千春の話(2) 

千春はいいな〜の話です。彼は自分のことをいろんなところで話していますので、もう知っておられる方も多いと思いますが、お父さんは一人で「十勝新聞」を発行していました。彼曰く、これが売れない新聞で、貧乏生活をしていたのだそうです。(今、ピンピカに飾っているのは、その反動?)

家に何も遊ぶものがなく、おまけに北海道の厳寒の土地。冬は家族が文字通り体を寄せ合って、夜を過ごしていました。でも、お父さんがいろいろの話をしてくれました。政治のこと、経済のこと、遠くアメリカのこと・・ 夜毎、そんなお父さんの語りを聞きながら休んでいたのだそうです。

今の子どもたちには、テレビ、ラジオ、ビデオ、ゲーム・・時間をつぶす物はあふれています。いや、それにはまりこんでしまうと、時間が足りなくなってしまいます。ゆっくりと人の話を聞き、じっと物を考えることは、よほど意識して、時代に流されないようにしていないと、できません。

私自身の生い立ちはどうだったかな? 「貧乏」は同じ。オヤジは無学、でもいろいろと教えてくれたように思います。洋服屋(仕立て)をしていて、毎日、10時ぐらいまでは働いていました。大きな番台(作業台)の反対側に、私もちょとんとすわって、勉強したり、話をしたり。必ずNHKラジオがついていましたが、朗読、漫才・落語など、いつもいっしょに聞いていました。オヤジから直接話を聞くことは少なくても、ラジオから教えられたものは、きっといっぱいあったんでしょうね。

内容はともかく、「オヤジといっしょにいる心地よさ」は、感じていたに違いありません。今でも、遅くに仕事を終えて帰る車の中で、ときどきラジオの漫才などを聞いては、何だか懐かしく思うことがあります。

心豊かに育った千春・・今の不良っぽいところからは想像できないかもしれませんが、でも、うらやまく感じた次第です。じゃ、塚田は父親としてちゃんと子どもたちに使えたか!? この話は、またあとで。(早ければ、明日にも)

2001.3.2(金)

◇千春の話(1) 

昨日、新聞作りが終わって、なんだか気持ちがゆるんでいます。力が抜けた感じ。外来ではインフルエンザが流行り始めたというのに、どうも緊張感が今一(といっても、ちゃんと診療はしていますよ。ご安心を)。

「院長の書斎」がしばらくご無沙汰していましたので、1冊加えました。これまでと毛色が変わって(いや、この人は毛がない!?)、松山千春の本です。かれが毎月雑誌を出し始めたのです。彼のCDを聞きながら、この本を読んでいる中年男の様・・あまり美しくないですね。

どうして千春のことにこだわっているのか、自分でも不思議になることがあります。数ある歌手の一人ですし、ルックスはけっしていいわけではありませんね。あの頭を初めてコンサートで見たときは、一瞬会場の動きが止まり、次に笑いの渦が起きました。今ではだいぶ見慣れましたが。

今から6、7年ほど前、千春がしばらく入院し、そのあとの初めてのツアーの初日がここ上越でした。そこでのシーンが先に紹介したものでした。その後の話では、インフルエンザをこじらせ(無理をおしてハワイにゴルフに行ったのがいけない!)、札幌で入院していたときは心臓にペースメーカーが入っていたと言っていました。おそらくインフルエンザによる心筋炎をおこしたのではないでしょうか。ずいぶんと重症の病気です。それでもちゃんと快復しましたが、心臓の身代わりになったのが髪の毛だった・・というのが私の説なのですが、どうでしょうか。

千春は私より1歳年上。まあ、ほぼ同世代。あの当時の人間が、自分のことをフォーク・シンガーと呼び、ときには青臭いことを言いながら、大地と大空を歌い上げているのは、もう博物館行きではないですか。化石のようで、でもまだちゃんと生きています。元気です。そんな彼をみていると、自分にもまだ何かできそうだという勇気に似たものがわいてきます。

もっとも、ただのジェラシー、あるいは負けん気かもしれませんね。もちろん、彼と同じ土俵で競り合っているわけではありませんし、はなから相手にされるはずもありませんが。

千春が以前のコンサートで言ったこと・・「自分は歳をとっても、いつまでも愛の歌を歌い続けたい」。彼は自分の言った言葉に愚直にも従っているよう。そんなところも、自分にはない魅力のようです。

「院長の書斎」で紹介した本を読んで、千春のことがうらやましくなりました。そんな話は、また後日。

そうそう、足下にも及ばない私が千春に勝っていることが一つ・・髪の毛は、まだ「存在」しているということです。

2001.3.1(木)

◇3月もこんな調子で・・ 

月代わりの準備が満足にできないうちに、もう今日から3月。この調子で、今月も慌ただしく過ぎて行くことでしょう。

昨年は息子・娘3人ともが受験で、1月から3月まで目一杯いろんなスケジュールが入っていました。今年は一人だけで、それも2月上旬で決着をつけてくれたので、楽に過ごせるはずだったのですが・・ この1ヶ月間で自動車学校に通うことになり、また「アッシー」の生活になりそうです。まあ、そんなことをしてあげられるのも、今のうちだけかなと思っているのですが。

今朝から準備して、夕方に「こども通信」3月号を仕上げました。さっそくアップしましたので、よろしければご覧下さい。

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