塚田こども医院

日 誌 2002年10月  月別の索引

2002.10.31(木)

◇10月の最後の日です

今日で10月が終わります。何だか早いですね。ついこの間まで「夏」だったのに。確か今月の前半はまだ暑いといってクーラーをかけていましたよ。それが急に暖房のお世話です。体がついていきません・・

昨日の午後は「外回り」の仕事をしていました。といっても「営業」をしなくていいのは幸いかもしれません。保育園などの嘱託医をしていますので、年に何回かは出かけていって健診をしてきます。昨日はその「集中日」。3つの園を回ってきました。(もっと余裕をもって日程を組むことができればいいのですが、だいたい一緒の時期に固まってしまいます。他に市や保健所の健診なども毎週のようにあるので、やや無理をして「こなして」しまいました。)

どこも元気な子どもたちに会えて、とても嬉しいです。ちゃんと「先生こんにちは!」なんて挨拶してくれると、もう目尻が下がっています。このまま誰でもいいから連れて帰りたくなっちゃうくらいです(本当にやったら誘拐ですから、これは話だけ)。近くの園なので、多くの子は風邪などのときに私のところに受診してくれているので、もう「顔なじみ」(お互いに)。泣く子も少なく、もともと元気に園に通っている子どもたちなので、スムーズに診ていくことができました。

いつも思うのですが、こうして子どもたちと一緒にいられる仕事は、私にとっては「天職」。私は子どもたちを診るのが仕事だけれど、子どもたちから「元気」をもらっています。「役得(やくとく)」だと思っています。いずれ小児科医をやめたら、急に元気がなくなり、老け込んだり、寝込んだりするかもしれません。そうしたら、どなたか私に元気な子どもたちを会わせに来て下さいませんか。きっとまた元気になるんだと思いますよ(^0^)

今日は月末ということで、いろんな仕事が集中。ほとんど混乱状態。「こども通信」のアナログ版(?)は先ほどできましたので、明日には「デジタル版」を作り、メルマガとして配信したり、HPにアップしたりできます。乞うご期待!

2002.10.29(火)

◇もうすぐ雪の季節

昨日は「小柳ゆき」の話。今日はもうすぐ「雪」だという話です。

今朝から一日、霰(あられ)混じりの冷たい雨が降っていました。地面が白くなっているのにはビックリ。まだ冬は先だと思っているわけにはいきませんね。足元に気をつけなくっちゃ(けっこう転ぶんです)。

昨日の夜は雷もそうとう鳴っていました。西の方から閃光と大きな音が轟いてくるのは「雪起こしの雷」。あと一ヶ月ほどで雪景色になってきます。でも・・今年は夏の終わりが遅かったですよね。近くの公園のお堀は蓮で有名なのですが、例年はこの時期は枯れた風景なのに、今年はまだ青々とした元気な葉っぱも見られています。<長くて暑い夏+厳しい冬> これではいいことがありません(山口県出身の家内が新潟を嫌がるわけですよ)。

天気図も昨日からすっかり「冬型」。日本海側には厚い雲がかかり、太平洋側はカラっと晴れています。雨や雪が日本海側に降っても、その「恩恵」は太平洋側にももたらされます。日本列島の真ん中に降った雪や雨は、川となって両方に分かれていくからです。でも、とくに雪の大変さは日本海側や北日本だけが感じています。そして、生活上の不便さも迷惑も、ときには災害も。少しは「いいこと」がほしいですよね。その分、減税されるとか。あるいはこちらに降った雪や雨で便宜をもらう地域には特別に税金がかかるとか・・(ここまでいくと、ひがみ根性を越えていますね)

でも、考えて欲しいこともあります。日本で一番長くて流量の多い川は信濃川です。信州の千曲川が越後に入ると名前が変わりますが、この信濃川の水で恩恵を受けているのは、毎日通勤列車に乗っている首都圏の方々です。JRが発電所を持っていて、信濃川の水によって発電しています。その電力は主に東京などへ送られているというのです。そのお陰で、信濃川の本流は水不足に悩まされ、水量が足りないために清流とはいえない状態になっています。山手線に乗っている方々は、電気がはるばる新潟から送られていること、その源は新潟の山奥に降った大雪によることを意識しないで乗っていることでしょうね。

電力の関係でもう一つ。新潟は原子力発電所が多いところです。原発の故障隠しで一躍有名になりました。もしも原発で事故があれば、もしからしら私たち新潟県民は重大な被害にあうかもしれません。でも、これらの原発で作っている電力は新潟で使われているわけではありません。東京電力が、日本列島を横断する大規模な送電線を使って、やはり首都圏に送っています。新潟の電気は「東北電力」が担当していますので、どうしてよその会社が新潟に発電所、それも原発を作ってくるのか、今持って不思議でなりません。安全だというのなら、東京の真ん中に原発を作ってもいいようなものです(だれも完璧に安全だとは思っていないので、そんな話は誰も言いませんが)。

だんだん「恨み節」になってきました。これも、「鉛のような雲」に被われた日本海側の人間の特徴なのかもしれませんね。(昔は「裏日本」と呼ばれていましたが、個人的にはこの方がピッタリすると思っています・・ちょっと自虐的かな?)

2002.10.28(月)

◇小柳ゆき

昨日はここ上越で小柳ゆきのコンサートがありました。オジサンとしては少々気恥ずかしかったのですが、「子どもの保護者」の顔をして出かけてきました。やっぱり若い子たちがいっぱいで、ノリノリの雰囲気でしたが、それなりに楽しんできました。

地方の公演のわりにステージもしっかり作ってあったし、思った以上のパワフルな歌声でした。小さな体なのに驚くほどの声量、高い声もしっかり出ていました。なかなかやるもんです。オジサンもその元気をもらって帰ってきました。(可愛いおへそを見てきたのも、いい目の保養になったかな・・)

それにしても大音響でしたね。夜寝るまで、耳がおかしかったですよ。以前(確か松山千春)ステージ近くの席で、すぐ目の前にスピーカーがあり、もっとひどいことがありました。翌日の診療中もまだ聞こえにくく、聴診器も使いづらかったことを覚えています。ここまでくると「騒音性難聴」ですね。

このところぐっと寒くなってきました。近くの妙高山が初冠雪。例年より12日遅いとのことでした。今日は日中霰(あられ)が降っていたように思います。これから日増しに冬に向かって行くんですね。もう冬の用意にとりかからなくては。

2002.10.25(金)

◇介護用の住宅

昨日は自宅増築中とお話ししました。今日はその続きです。私は設計図を見たり、自分でまねごとで書いたりするのが大好き。母屋を建てるとき、設計士さんとあーでもない、こーでもないと頭を付き合わせてアイデアを出し合ったり、ときにはつぶし合ったり(?)したものです。今回は「老人介護」がテーマなので、けっこうマジに考えて設計図をひいてもらいました。

最初はいろんな設備や器具を考えていましたが、途中で気づきました。どんな障害をいつ起こすかは分かりません。あらゆることに対処できるような「万能介護住宅」はありえないと分かりました。大切なのは、もしもの障害をもったときに使いやすいような作り、あるいは使いやすく改造できるようにしておくこと。「介護用」と名がつく物は数多く売られていますが、それらは障害の種類や程度がはっきりしていれば導入しやすいです。でも、この先どうなるか分からない時からそれらをつけておくのは、ほとんど意味がありません。それが本当に必要ななるかどうかも分かりません。不要かもしれませんし、もっと高度な機能を持った物が必要になるかもしれません。こういった器具は日進月歩のところもあり、数年経つと陳腐化していて、実際に使う時になったらもっと良い物が出ているかもしれません。そんなことを考えていると、最初から備えておく必要はちっともないと分かりました。

必要なのは、フラットでやや広めの空間。とりあえずはそれをパーティッションのようなもので簡単に区切って使用し、いずれ必要になったときに設備できるようになっていればいいように思いました。最初はお年寄りだからと畳の部屋も用意しましたが、立ったり座ったりの動作が大変なので、あえて全てフローリングにしました。そこにイスやソファーを置いておく方が、足腰にも良いように思えます。

寝室はベッドが入るだけの空間を、そのフローリングの一部を区切って用意しました。ベッドでの生活が、やはり楽ですね。ベッドは普通の物を購入するつもり。介護用というと、電動で起きあがったりできるスゴイものがありますが、あれはやめました。昨日もお話をしましたが、あの発想は介護する側のものです。それを使うと介護しやすくなるのでしょうが、利用する人にとっては、自立を妨げることもあることを注意すべきです。少なくとも、ベッドの上で起きあがって外を見ていたり、食事をとらせたりするのは、「人権侵害」なんではないかとも思ったりします。ちゃんとベッドの脇におり、ソファーなどでくつろいだり、イスとテーブルを使ってみんなと一緒に食事をとることが、「基本的人権」なんではないでしょうか。まして、トイレをベッドでさせるなどというのは、けしからんことです。

水回りはあとで改造しにくいので、やや広めのものを用意しました。お風呂も、そう豪華ではありませんが、でもお年寄りにとっては楽しい時間を過ごす時ですので、ゆったりできる浴槽を。トイレは車椅子で入れるように、やはり広めにしておきました。台所はまず普通の物ですが、ガスは危険なので電気だけを使っています。

こんなことを、一つひとつ相談しながら、それを設計図に落としていく作業はとても大変です。以前自宅を造ったときには、自分たちの生活を見つめ直さないととても設計図はひけませんでした。オーバーな言い方になりましすが、そこでは「生き方」をどうするか、自分たち自身に問いただす作業の連続でした。今回は「これから老人にどのように接していくか、どんな生き方をしてほしいか」を考えながらの、けっこうつらい仕事でした。でも、そのところをしっかりと押さえていると、家の形ができたときに、納得のいく物になっています(いい加減に考えたところは、あとでガッカリします)。

さあて、今回の増築はどうなるでしょうか。試験の結果を待つ学生のような気分です。

2002.10.24(木)

◇自立を妨げる介護保険

私事で恐縮ですが、今自宅を増築中。老人と同居すためです。今あるスペースでも足りなくはないのですが、ある程度は独立して住んでいた方が何かといいことが分かり、思い切って工事をしてもらうことにしました。

一緒にいるとどうしてもお互いの生活が制限されます。ある程度は仕方ないことですが、でも長続きするにはそれまでの生活スタイルをあまり変えないことも大切のよう。

それと「自立」。まだ体力があって身の回りのことができるのなら、むしろそれを続けていくのが一番いいですね。体力が落ちてくるし、いろんな障害が起きてくるので、次第にそれまでと同じ生活はできなくなります。でもそうだからといって、周りが手を出しすぎるのも、また問題のようです。どうしてもできない部分をしてあげたり、全体を見渡してやり残しているところだけ手伝ったりと、あくまでも「自分(たち)で生活している」状態を維持していくことが、大切なんだと分かってきました。

「介護」する方は、何でも全部してあげる方が簡単です、自分の都合でできますので。お年寄りが自立できるように援助するためには、相手の様子をきちんと見ながら、タイミングを見計らったり、ほどほどのところで止めてあとは見守るようにしたりと、そうとう気を使う必要があります。そうなると時間もずいぶんかかってしまいます。「効率」を求める今の社会にはそぐわないことなんですね。

「介護保険」が数年前に導入され、定着してきています。実際に利用してみると(もちろん私自身が利用しているんじゃありませんよ)、これは「介護する人のための制度」だというのがよく分かります。それは職業として介護士をしている人たちのために「介護しやすい」環境を作ることですし、日常的に介護している家族のためでもあります。しかし、肝心の「介護を受ける人」のためにはなっていないんじゃないか、と思うこともあります。一部かもしれませんが、高齢者の「自立」を妨げている状況もあるように思います。

そんなことで、今回は「自立のための増築」と位置づけて、老人用の離れを造っています。とりあえずは私たちの両親が入るのですが、いずれは私たちもそこを使うことになるんでしょうね。あとどれくらいか・・ あんまり考えたくない、でもそう遠くない未来のことです。

2002.10.22(火)

◇もうすぐ冬・・

ここ新潟では、今日も雨が続き、肌寒いお天気になっています。太平洋側では晴れているようですので、秋から一挙に冬型のお天気に変わったかのようです。もちろんまだ雪が降るほどではありませんが、暖房も少し使ってみました。このシーズン初めてのことです。近くの公園の葉っぱも色づき、あるいは葉を落とし始めています。少しずつ風景が変わっているんですね。

駐車場の外灯をつける時間も次第に早くなっています。お天気が悪いせいもありますが、このところ夕方4時くらいにはつけておいていますね。先日、近くの大型スーパーへ行ったら、5時を回って真っ暗になっているのに外灯や照明がついていません。余計なお世話だとは思いましたが、サービス・カウンターへ行って「もうそろそろ付けた方がいいのでは」とお伝えしました。でも、そこにいた職員(若い女性の方)は、私の言葉は理解できているのでしょうが、気の利いた返事をするわけでもなく、愛想のない対応でした。お客さんへのサービスを第一に考えるというようなことを言っているスーパーなのに、がっかりでした。(もっともそんなことを言いに来る客なんて、あんまりいないんでしょうね。突然のことでどう対応していいか、困ったのかも。「ヘンなオヤジ」ぐらいに見ていたのかもしれません・・)

話がそれましたが、もうすぐそこまで「北風小僧の寒太郎」がやってきているようです。医学生の6年間を除いて、ずっと雪国に住んでいるので、「お日様の見えない季節」を迎えるのが当たり前になっています。でも、栃木で過ごした時には、冬でも日中は外で過ごせていました。昨日の「日誌」でも紹介しましたが、子どもを連れてお散歩に行くとき、暖かくて子どもと一緒にシャツ1枚になっていたのもよく覚えています。(その分、夜中から朝方の冷え込みが厳しかったですよ。車のラジエーターを凍らせた時もありましたし、室内の観葉植物がバリバリになった時もありました。)それもみんないい思い出です。

私は「適応能力」があるのかもしれませんね。どこに行ってもあんまり文句を言いません(あるいは、行かなくても)。だんだんとその環境に慣れてきます。こんなもんかな、などと思って、気にならなくなっていきます。諦めるのが早いのかも・・ もっとも雪国の冬は、仕方ないと思って「受け入れる」ことをしないと、とても春まで身が持たないでしょうね。

2002.10.21(月)

◇ライオン丸!

一昨日(19日、土曜)より当院でもインフルエンザ予防接種が始まりました。多くの方に受けていただきたいので、通常の診療時間枠だけでは足りず、土曜の午後も「特設外来」を作って対応します。その初日・・滞りなく無事に業務を終了しました。年内いっぱいはインフルエンザ・ワクチンで、年が明けて春まではインフルエンザ・ウイルスで、小児科は忙しくしています。

18日の「日誌」の続きです。私の昔話に付き合って下さい。もう20数年前の話です。上の子が生まれたとき、産後すぐの乳児を預かってくれる保育園はありませんでした(当時は産後休暇は6週間でした)。お互い実家から遠く離れた栃木県で子育てをしていたので、自分たちで何とかするしかありませんでした。同じような境遇の3家族が集まり、共同保育園を作った話は何回も紹介したかと思います(この保育園の名前「わたぼうし」を、昨年から始めた「病児保育室」にも使っています)。

保母さん(今は「保育士」さんと言うんですね)は最初は一人だったので、時々私も手伝いに行っていました(一番ヒマだったので)。時には一日中園にいて遊んでいることもありました。お散歩に連れていくときに困ったのが移動手段。まだハイハイがやっと出来るぐらいの赤ちゃんですが、お天気が良いので外に出してあげたいのですが、保母さんと二人(時は私一人)で3人の赤ちゃんを連れていくのは大変。小児科病棟には何人でも子どもたちを載せられるちゃんとしたカートがあったので、同じようなものを「お金をかけないで」作ったのは、【ライオン丸】でした。

要らなくなったベビー・ベッドをもらってきて、それを鉄材で補強。足にはゴム製のキャスターを付けて出来上がり。正確には覚えていませんが、数千円でできたんだと思います。それに3人の子を載せて、いざお散歩へ! 園の周りの道を散歩したり、芝生の上に連れていきました。近くに学生寮があったので、その中に「侵入」して、広いラウンジで思いっきりハイハイをさせたこともありました(ちなみに私のいた医学部は全寮制で、医学生660名ほどが住んでいるマンモス寮でした)。

ただ一つ困ったことが・・それは付けたキャスターが小さかったことです。直径5センチほどで、舗装された道路でも石ころがあるとすぐつかえて停まってしまいます。お金がなくて大きなキャスターが買えなかっただけなのですが、そんな話を園の新聞に書いたところ、ある婦長さんが大枚を出して下さり、直径15センチほどのキャスターに付け替えることができました。砂利道や土の上は無理ですが、普通の道はラクラクと進むことが出来るようになりました。

【ライオン丸】という名前は確か保母さんが付けたんじゃなかったかと思うのですが、そのいわれはよく覚えていません。よく読んでいた絵本の中にライオンが出てきて、子どもたちが好きだったからかもしれません。私にとっては、「子育ての原体験」の一シーンとして記憶の中にインプットされています。当時、「子育てって、こんなに楽しいんだ!」という実感したものです。

温かい日差しのもと、【ライオン丸】にのった元気な子どもたちと一緒にお散歩していたことを、ずっと覚えていることでしょう。

2002.10.18(金)

◇ベビー・カーも外出難民?

昨日「車椅子」のことを書いたところ、早速お便りをいただきました(読者のページ)。「車椅子」を「ベビー・カー」に代えると、子育て中のママたちにとっても決して日本が優しい街ではないことが分かるという内容です。そうですよね。赤ちゃんを連れて街を散歩していても、歩道にはいろんな障害があります。私が車椅子で感じたように、通行の妨げになるものがいっぱい。

交通機関の問題もあります。以前ある新聞で「バスや電車にベビー・カーをたたんで乗るべきかどうか」が話題になりました。混み合っている中では、乗客としてはスペースをとるベビー・カーは「邪魔」でしょう。でも、そんなことを気にしなければいけない日本の状況は、まだまだ遅れているんでしょうね。北欧(スウエーデンだったか?)では、バスにベビー・カー用のスペースが確保してあり、たたまずそのまま乗り込めるようになっているということです。ステップも低くなっていますし、何よりも周りの人たちが自然に手を出して乗り降りを助けていました。

私の知っている団体職員の方の話をします。その方はボランティアの仕事も熱心に取り組んでおられます。ある仕事で一緒に出張したときのこと。駅の階段で車椅子の方が立ち往生しているのを見かけると、さっと近寄っていきました。一人では持ち上げられませんので、周りの男性に声をかけ、4人ほどで抱えてホームまで運び上げました(私もその中の一人でしたが)。車椅子の方と、その付き添いの女性の方がお礼を言うのを、「どういたしまして」と簡単に言うと、自分はまたすたすたと歩きだしていきました。その間の自然な動きに、とても感動しました。カッコいい! 日本人は気持ちはあっても恥ずかしい気持ちがあったり、周りがしていないと自分だけ突出するのが苦になる傾向がありますが、その人は違いました。

それを見て、私も「いい真似」をしています。(最近は自動車の運転中、横断歩道で人が待っているとちゃんと停まりますよ! 威張ることでもないんでしょうが、あんまり守られていないですよね。)みんなが負担に思うことなく、そういった行為を日常のこととしてしていれば、日本ももっと良い社会になりそうな気がします。なかなかそれができないという理由の一つに、モデルとなる経験がないことがあるかもしれません。子どもたちにこうしなさいと口で言っても、大人たちがしていなければ、実際にどうするのかは伝わりません。実物を見て、それが脳裏に残っていれば、やろうと思ったときに、自然と体が動くことでしょう。結局大人が率先してすることが大切なんでしょうね。

車椅子、ベビー・カーの話からずいぶんそれてしまいましたが、こんな話をしているうちに、私の子育て一年生のころのことも思い出していました。共同保育園のお散歩用に特製のベビー・カーを作ったことです。「ライオン丸」と名付けたそのベビー・カーの話を、明日また紹介したいと思います。

明日よりいよいよインフルエンザ予防接種が始まります。今年も昨年までと同じく、とても多くの方に接種していただくことになりそうです。12月の中旬まで、私たち小児科スタッフにとっては「嵐のような外来」になりそうですが、みんなで心して頑張ろうと思っています。どうぞ宜しくお願いします。

2002.10.17(木)

◇人に優しい街

先日、父を連れて街に出ました。脳梗塞を患い歩行が不自由なので車椅子の生活です(少しの距離は歩行できますが)。私が車椅子を押して散歩に行ったのですが、普段は感じないちょっとしたことが、体に障害があるとずいぶんと支障になるもんだと実感しました。

上越市・高田はもともと城下町で雪国。冬場の通行の便を考えて、「雁木(がんぎ)」という名前のアーケードが街並みにそって続いています。雨が降っても、傘を差さなくてもあまり濡れることなく、買い物などに行くことができます。昔(江戸時代?)からある物で、その実用性もさることながら、「昔の良き風景」として市民に親しまれています。

歩いているときは気にならなかったのですが、車椅子では少しの段差でも通行しにくいものですね。隣家の敷地の間に数センチの高低差があると、ならしてあっても力をいっぱいにかけて押さないと進みません。「登る」という感じです。一応私も男ですので、それなりに力がありますが、女性では押すのが大変でしょうし、車椅子の方が自分の力だけで進むのはとても難しいような気がしました。

それと、とても狭い所があるのも困ったものです。もともとの幅が狭い所もありますし、雁木に飛び出した商店の看板などが車椅子が通れないほど張り出している所もありました。あるいは、大量に停められている自転車も、場所によっては二重になっていたりと、お行儀が悪いですね。

自分さえよければ、といった考えが見え隠れします。でも・・その立場になってみないと分からないこともあります。「バリア・フリー」というと、特別な施設を作ったりしてお金をかけないとできないような印象がありますが、身の回りの中で「相手のことを思いやる」だけでできることもいっぱいありそうです。「人に優しい街」になるといいなと思って歩いた日曜日でした。

2002.10.15(火)

◇お帰りなさい!

北朝鮮に拉致された日本人のうち5人の方が今日帰ってこられました。20数年ぶりの家族・・過ぎ去った時間は長くても、やはり家族とともにいられることは幸せです。子どもや夫を北朝鮮にそのまま置いてきての一時帰国ですので、いろんな制約はあるでしょうが、でもゆっくりと過ごしていって下さい。

この方たちはみな40台の半ば。私と同年代です。20歳前後で拉致され、20数年間、望んではいない場所で、望んではいない生活をしてきました。自分に置き換え、もし私にとっての20数年間がそんな生き方を強要されたとしたら・・想像すらできないことです。その年月の長さ、そして何よりも理不尽な暴力に、あらためて怒りを覚えます。

今回帰国された5人の方のうち3人は、ここ新潟県の方です。新潟県は海岸線が長く、海からの工作活動に向いた地形なのでしょう。あるいは、戦後、「希望あふれる楽園」を夢見て多くの方が北朝鮮に渡りましたが、その出発港が新潟であったことも関係があるのかもしれません。すぐ近くにこんな大きな事件がおきていることを思うと、暗い気持ちになります。

どうでもいいことですが、「すぐ近く」というと、昨日、阿部官房副長官が私の家の近くに来ていました。直線距離で500メートルほどでしょう。自民党の決起集会(?)に弁士として来られ、この拉致問題についても言及していたということです。私はもちろん行っていませんが・・ ちょうどそのころ犬の散歩をしていました。会場のすぐ近くを通っていましたので、50メートルほどのところまで接近していたようです。(本当にどうでもよいことでした)

今日は我が家の愛犬=クッキーの1歳の誕生日になります。種類はコーギ、短い足としっぽが特徴の可愛い犬です。もともとイギリスの草原で羊を追っていたというだけあって、動く物にはすごく興味があります。飼い主のシツケもいけないのでしょうが、散歩でもどんどんと行ってしまいますし、動いている物なら何でも追いかけようとします。同じ犬でもこうも違うものかと関心します。生まれ持った遺伝子の違いなんでしょうね。

愛犬の話をし出すと止まらなくなるかも。でも、今日はひとまずこれまで。

2002.10.10(木)

◇二人のノーベル賞

何と2人の日本人がノーベル賞を受賞! 先日の小柴氏(物理学賞)は「東大名誉教授」の肩書きの通り、なるほどという印象でしたが、昨日の田中氏(化学賞)は民間の研究所のヒラの研究者。そしてまだ43歳! 記者会見にもそのままの作業服で現れてくれるなんて、何とも嬉しいです。

この田中さん、今日は背広姿でしたが、ちっとも似合っていませんが、そこがいいんですね。ノーベル賞を取るぐらいの「いい仕事」をする人が、えばることなく、普通に会社勤めをしています。特許を取ったときにもらった報奨金がたった11,000円だったそうです。会社に20億円を請求した人の話を聞いたときには、ある意味で日本も変わってきたなと思いましたが、田中さんの話を聞いて、ちょっと安心しました(もちろん、もっといっぱいもらっていいですが)。

能力的にも組織の中でもっと「上」にいってもいいはずですが、管理職になることで研究に没頭できる時間が少なくなるのがイヤだといって昇進試験を受けていないのだとか。上に行くと管理のための仕事が増えてくるのは、仕方のないことでしょうが、でもやっかいですね。私も病院勤めをしていたとき、だんだんと役職が多くなり、それに振り回されるのがとっても苦痛だった覚えがあります。もともと人付き合いが悪いこともありますが、医師会などの役職はできるだけ引き受けないことにしています(もっとも、へそ曲がりの塚田に大事な仕事を任せられないと向こうも思っているでしょうが)。

私と同じ年齢層だということも、嬉しくなります。新しいアイデア(着想)をもって、独創的な仕事ができるのは20台から30台だと聞いたことがあります。もっと年齢を重ねることでいい仕事ができるという職業もあるでしょうが、研究者はやっぱり若い方がいいようです。でも、日本では往々にして若いというだけでつぶされたり、正当な評価を受けないことが良くあります。今回の田中さんのノーベル賞受賞は、その良い例。きっと日本の学界では「無名」の存在だったんでしょうね。

良いもの(人)は良いと素直に認めて、大いに応援する風土が日本にもできてくるといいな、と思いました。みなさんはいかがでしたか?

2002.10.9(水)

◇予約システム秘話

昨日の話の続き。当院の「電話予約システム」には数々の「悲話・秘話」があります。数年前に導入したのですが、正常に作動しないことがたびたび。特に導入直後、朝7時の受付開始がスムーズにできず、急いで私が出かけたり、職員が駆けつけたりしたことも数日続きました。その度に業者見てもらうのですが、「どこにも異常なし」の返事。でも現実に業務ができない状態が起きているので、もっと詳しく調べてもらったら、行き着いたのマイクロソフト社でした。

この予約システムはWindowsという基本ソフトの上で動くように設計されています。同時に2本までの電話回線の情報を処理することができるというのがウリ。でも・・システムを立ち上げる時にちょうど電話がかかってくると、正常に立ち上がらないことが後になって判明。当院では朝7時から電話での受付をします。7時になると大勢の親御さんが一斉に電話をかけているはずです。ちょうどその時間にシステムが立ち上がるようにセットしていたため、この「被害」に合っていたということです。Windowsの仕様書ではこの処理ができることになっていて、会社も何度かマイクロソフトのアメリカ本社と交渉を持ったとのことですが、バグの修正は結局行われませんでした(すでに開発の終わったソフトだから、ということのようです)。

全国で販売している予約システムなのに、何で私の所に入るまで誰も気づかなかったのか、不思議です。ソフトの開発段階では色々な条件で試しているのでしょうが、朝からとてもビジーな予約という条件は考慮されていなかったのでしょうね。それに、他の医療機関でも同じ問題が起こっていなかったということは、当院の予約受付だけが突出しているということなのでしょうか(きっとさうなんでしょうね)。

小児科は急性の患者さんがほとんどです。慢性の患者さんの多い内科や外科などの予約というと、「2週間後に受診」などという、余裕のある予約が多いですね。でも、小児科では当日にならないと受診するかどうか分からないことがほとんどです。そのために、かつては小児科外来で予約システムを導入するのは無理だとされていました。しかし、予約がなく、多くの患者さんが同じ時間に受付をされると、結局待ち時間が長くなってしまいます。すでに当院ではそんな不都合さを抱えていたので、「当日朝の電話予約」を実施したいと考えていたところでした。業者の説明を真に受けて導入したものの、運用当初からトラブってしまったのは先にお話したとおりです。業者の責任もないではないですが、第一次的にはビル・ゲイツの責任(?)ですので、まあ諦めるしかないのかな、と思った次第です。

すでに運用が始まり、患者さんに案内もしているのでずいぶん困ったのですが、この予約システムとは別に、電話のオン・オフをコントロールするシステムがあればいいことに気づきました。NTTの技術者と相談し、医院のビジネス電話を高機能のものに入れ替え、朝7時までは留守電に流し、7時からは予約システムに流すようにしました。これで一挙に問題解決。何だかビル・ゲイツに一矢報いた気分でした(もっとも、そのためにけっこうな費用がかかりましたが)。

その後、この会社では電話予約システムを全国の小児科に「安心して」宣伝し、販売できるようになったようです(実際に、私が作った患者さん向けの説明がそっくり他の医院でも使っているのを見ました)。私のところでの失敗が活かされているようで、良かったですね(ちょっと皮肉です)。

2002.10.8(火)

◇停電

昨日朝、当院の周辺で停電がありました。といっても突然のものではなく、時間帯も午前3時から7時までなので診療には差し支えありません。でも院内には保冷庫に保存しておかなければいけない薬品類がいっぱいあり、数時間の停電でそれらの温度管理ができなくなると品質に問題が生じるおそれもあります。ということで、土曜のお昼から昨日の朝まで、大きな保冷庫を持っている薬品問屋さんに「一時避難」させてもらいました(もともとはこの問屋さんから納品されたものが多いので、彼らにとっては思いがけない「帰省」になった?)。

朝7時というと、当院の電話予約が始まる時間。それまでには復旧すると説明を受けてはいましたが、不測の事態も考えて職員をその前に出勤させ(超早番)、待機していました。数分送れて送電が再開されましたが、大きなトラブルもなく、胸をなで下ろしました。【電話予約のシステムには隠された秘話(悲話?)がありますが、詳しくは明日の日誌で紹介予定です】

保冷庫以外では熱帯魚の水槽が2台あり、そのポンプやエアーも止まってしまいます。お魚さんにはちょっと可哀想ですが、数時間であればガマンしてもらうことにしました。交流電源で動いているタイマーが何台かあり、復旧後にその調整が必要でした。

当院にとって停電はいわば「致命的」。いざという時のために自家発電機を持っていますが、今回は夜中なので使いませんでした(すごい騒音と臭気で近所迷惑)。作業のために数時間も停電させるなんて、まだあるんですね。周囲で居住している方にとっては、夜間とはいえ、迷惑だったのではないでしょうか。街灯も消えているわけですから、防犯上の問題も生じるかもしれません。「無停電作業」が常識になっているかと思っていたので、ちょっとガッカリ。

今や電気なしでは生活できなくなっています。仕事には直接支障はありませんでしたが、もしそのまま電気が復旧しなかったらどうなっていたか・・そう考えると、逆に、電気が使えるのが当たり前になりすぎているのかもしれません。それを支えているシステムや人たちのことを思うと、ありがたいことだと思わなければいけないですね。あんまり文句を言って失礼しました。普段、何も気にせずに電気が使えていることに感謝します!

2002.10.7(月)

◇未来のカルテ

一昨日、医師会の講演会があり、出席しました。テーマは「電子カルテ」。これまでの紙に書いていたカルテを電子的なカルテにしていこうというものです。すでに発売されている電子カルテの「見本市」も同時にあり、興味深く見せてもらいました(院長は新しいもの好き!)。診察の時、ペンの代わりにキーボードやマウスで入力し、カルテの代わりにディスプレーが机の上(前)に広がります。仕事環境も次第にIT化され、アナログからデジタルの世界に切り替わってきていますが、医療の中でも同じ動きが進んできているようです。

確かにデジタルな情報にすることで、医者がメモのように書き記していたカルテをさまざまに使うことができます。日常の診療で必要な会計、注射や処置、投薬といった仕事はカルテに記載されたものに基づいて行われますから、それらが電子的に繋がっていれば、医師が電子カルテに入力しただけで院内の様々な仕事がほぼ一斉に進んでいきます。その資料を、医学的な統計や考察といった学問的な資料として使うことも容易になることでしょう。

でも、要は専用のパソコンですので、操作性、安定性、入力のし易さ、以前のページの見やすさなど、まだまだ課題はあります。大きな病院では「オーダリング・システム」といって、医者がカルテとは別に医療内容をコンピューター端末に打ち込むと、事務、薬局などに指示(オーダー)が伝わる仕組みが進んできます。でも、そうとうしっかりしたシステムを作らないと、医者が入力の仕事が新しい、そして時間的にも労力的にも大きな負担になりかねません。実際に、そのために患者さんに向かう時間が少なくなる例もあり、何のためのIT化なのか、疑問だという声もあります。電子カルテにも同じことが言えそうです。

当院に電子カルテを導入したとすると・・まず私の入力段階で相当時間がとられてしまいそうです。以前の内容を見るのに、紙のカルテならパラパラとめくるだけで、いつごろどんなことがおきたのか、何が問題になるのか、比較的簡単に分かります。でも、パソコンの画面上ではなかなか以前のものを見ることができにくいですよね。科による違いもあるでしょう。慢性の病気が主体で、ゆったりと診察のできる科には向いているようです(近隣の内科医院ではもう使っているようです)。でも、急性の病気が主で、一日中バタバタしている外来(文字通り「おもちゃ箱をひっくりかえしたような」外来)をしている小児科には、やっぱり合わないような気がします。

看護婦さんに注射の指示を出すとすると、電子カルテでは「注射指示書」が発行されます。カッコいい!と思ったのですが、でも看護婦さんは患者さんについての情報は不充分ですし、以前同じ注射があったかどうかも、それだけでは分かりません。今のように紙のカルテをそのまま看護婦さんも使えば、患者さんの診断名、以前の注射のことなど、一目で分かります。当院は院内処方ですが、やはり薬局の仕事も同じで、紙のカルテをそのまま使用することがとてもよい情報源になっています。

紙に書かれたものはアナログ情報ですが、でも、デジタル情報よりも優れている面が多々あると、むしろ実感しました。でも一つだけ、ぜったいに優れている点・・それは「誰にでも読める情報」ということ。医者の悪筆は古今東西、普遍的な習癖です(威張ることではありませんが)。私の恩師は素晴らしい「達筆」で、各部署に「翻訳者」がいたという逸話もあります。私はそこまでではありませんが、次第にカルテが「暗号化」されているのも確かです。デジタル情報としてインプットされたものなら、万人に見ていただけれるカルテになります。

そんな日も、IT化のスピードが凄く速い社会ですから、すぐに来るかもしれません。メイジャーなバージョンアップをして、「使える電子カルテ」が出来上がるのを待ち望んでいます。私が元気なうちに、そんな夢のような時代もきっとくるでしょう。それまでは悪筆にお付き合い下さい、職員殿。

2002.10.4(金)

◇「不適当な発言」って?

お昼によくタモリのTV「笑っていいとも」をときどき見ます。今日もお昼にTVをつけたところ、画面の下に「番組の中で不適当な発言があったことをお詫びします」というテロップが出ていました。生番組の中で出演者の誰かが、何か口走っちゃったんでしょう。局の上の人が慌ててコメントを出した様子が見て取れます。でも、誰がどんなことをしゃべったのかな? 番組の最後まで見ていましたが、それらしいことには触れませんでした。

トラブルが多いのは「差別用語」でしょうか。不用意に話をしてしまって、それで心が傷つけられる人がいるとしたら、やはり問題です。意図して発せられる言葉もあるかもしれませんが、たいがいはそれが「差別用語」であると知らないで普通の会話で使っていそうです。でも・・あまり神経質になっていると、表現が制約されるかもしれませんし、ただの「言葉狩り」になってしまうかもしれません。言葉は「適切」でも、内容が不適切だということもおきるでしょう。内容と言葉使いが一緒に正されていかないといけないように思います。

地元のエフエム局で多少の仕事もしているので、時々訪れることがありますが、やはり「差別用語」には敏感になっているようです。先日「蒙古斑」の話をしようとしたときのこと。「蒙」という漢字には「幼い、道に暗い、おろか」などという意味もあるので、モンゴルのことを「蒙古」と言うこと自体が問題かもしれないとお話をしました。さっそく「差別用語辞典」を調べられましたが、幸い(?)差別用語には指定されていないということです(いったい誰が決めるのか、不思議でしたが)。ということで、「蒙古斑」の言葉を安心して使うことができました。

この「蒙」については、私自身が以前に不快な体験をしました。このHPの中の「チック症」の記載についてご意見をいただいた時のこと。チック症がその子の性格とは関係がなく、脳の中の代謝異常によっておきることをもっときちんと説明しなさい、という内容だったと思います。その方は、チック症の患者さん団体(?)におられて、知識の普及に当たられているのだそうです。そして、きちんとした知識のない医者が多いことと嘆きながら、自分は「啓蒙活動」を行っていると書いてありました。

この部分には、さすがの私(?)もちょっと切れました。私自身はまだまだ未熟者ですが、しかし一応は小児科専門医として患者さんや一般の方たちに分かりやすい情報提供を心がけています。その中には間違ったものや、時の経過の中で否定されたもの、もっと発展されたものなど、いろいろあるかもしれません。そに対して、いろんな方からのご意見をお聞きすることには何のためらいもありません。ですが、私に向かって「蒙」という漢字をあててくるというのは、いかがなものでしょう。おまけに、その方は自分の名前を名乗っていませんでした。団体名とペンネームのみ。詳しくは東大の医者が開いているHPを見るようと言ってそのアドレスが書いてありました。人に意見をするには無礼な態度ではないかと、折り返しメールを書きましたが、向こうからの返事はありませんでした。

こんなことぐらいでカッカする自分が恥ずかしいですが、でも、ずいぶんプライドを傷つけられたような気がしてしまいました。でも・・もしかしたら、私も医者という立場で同じ様なことをしでかしているかもしれません。そう思うと、背筋が寒くなります。もし失礼なことをしていましたら、ご容赦くださいね。

それにしても「不適当な発言」って何だったんでしょう。気になりますね(ただの野次馬!)。

2002.10.3(木)

◇3回も送信してすみませんでした

一昨日の日誌で「携帯電話」の件を書きましたが、その後励ましのメールなどをいただき、ありがとうございました。ちょっとへこんでましたが、でもまた元気になりました。この場を借りて御礼申し上げます。

でも、私自身も医院を開業した当時の志を、忙しさの中で忘れていたのかもしれません。地域の子どもたちのために頑張るという気持ちをもう一度思い起こしてみたいと思います。そして小児科医になった当時の初心、あるいは医者になろうと決意した若い頃の心意気もまた、いつの間にか忘れていたようですね。歳をとると物忘れがひどくなります(ちょっと意味が違うかな?)。そして狡(ずる)くなっていく自分がいます。昔だったら絶対に拒否して受け入れていない生き方です。人間、次第に丸くなると言いますが、でも自分がなくなっていくのはイヤですね。尖ったままの人生があってもいいかな、などと思っています(実際にはできもしないのに)。

一昨日のことですが、「デジタルこども通信」を3回も配信してしまった方がおられます。ご迷惑をおかけしました。今回から送信方法を変更したのですが、どうもうまくいかず、修正して完全に出来るようになるまで何度か送信してしまいました。

以前は、手元のメール・ソフトの送信先のアドレスを登録しておいて、まとめて送信していました。しかしこの「複数への一斉送信」はサーバの負担が大きいということで禁止されているのだそうです。ちっとも知らず平気で600通近くの送信をしていたのですが、別の用件でサーバを運営している会社に知られ、禁止だとはっきり言われてしまいました(これを「やぶ蛇」と言うんでしょうね。それとも真紀子流に「藪から棒」?)。

代わりに紹介されたのがML(メール・リンク)を使った送信です。送信先のアドレスを登録しておけば、一斉に送信できるという機能。通常のMLでは登録した「会員」同士で自由にメールのやりとりができますが、発信先を限定しておけば(この場合は私のアドレス)一方通行の送信だけに使えるというものです。私もいくつかのMLに入っていますのでMLのことは知っていましたが、こんな使い方があるとは初めて知りました。そしてMLを運営するための方法をお聞きしたのですが、手元の600近いアドレスを移植するのがそうとう大変でした。さらに、その記述方法に間違いもあり、それを修正したりするのに手間取ってしまったというわけです。

今月号はバタバタとしましたが、MLの体制は完璧にできたので、次回からはすっきりと送信できます。やれやれといったところです。

MLを使っての送信で、目に見えない大きなメリットがあります。それはアドレスの保存です。今までの手元のパソコンだけと使った送信では、アドレス帳のデータをなくしたり、破損したりしたら大変なことになります。事実、以前に一度、一部の方のアドレスを消してしまい、大慌てして復元したことがありました。本当に冷や汗ものでした。MLのアドレスはサーバに保存してありますので、よっぽどのことがなければそのデータに異常がおきることはないでしょう(二重に保存していると会社の説明にはありました)。まあ、大船に乗った気持ちです。

パソコンの基本的な知識もなくいろいろといじっているので、形はできていても応用はききませんし、何かトラブルがおきるとお手上げになってしまいます。今回の騒動の中でも、私のお師匠さんに教えてもらうことが多くありました。感謝しています。こんな不肖の弟子では、いつまでたっても「免許皆伝」にはならないでしょうね(>0<)

2002.10.1(火)

◇携帯がつながらない?

2学期が始まり、もう1か月が過ぎたんですね。今日から10月、今年もあと3か月になりました。さっそく「戦後最大」などと形容される台風21が日本列島に襲いかかろうとしています。ここ新潟でも午後から雨が強くなり、今、医院の外は大きな雨音がしています。今夜から明日未明にかけて一番台風が接近し、雨も強まるそうです。被害など出なければいいのですが・・ くれぐれもご用心下さい。

先日の岩手での出来事(小児救急の体制ができていないため、赤ちゃんが亡くなってしまった)を巡って、マスコミでも大きく取り上げられています。小児科医が不足しているなかで、でも小児救急をどのように作り上げていくか、大きな課題です。

私のところにも「夜間はどうすればいいですか?」「携帯電話はつながりますか?」などという質問を、外来で直接にお聞きしたり、メールでいただいたりしています。私は医院を開業してすぐに携帯電話を持ちました(当時はまだ大きかったですね)。患者さんにも電話番号をお知らせして、何かあれば連絡を取れるようにしてきました。でも・・いただく電話の全てに出ているわけではありません。会議中、運転中などは物理的に不可能ですし、自宅にいるときでもトイレ、入浴など、携帯を身につけていない時間もあります。そんな時は「留守電」にしていますので、そちらに録音しておいていただければ、あとでこちらからお返事を差し上げるということも、ときどきあります。でも、この「留守電」が一部のお母さん方に不評のようです。

ある方が「塚田先生は携帯にすぐ出ない」という話が地域のお母さん方の間で広がっていると教えていただきました。それを聞いて、気落ちしているところです。確かにすぐには出られないときもありますが、でも留守電にメッセージを残していただくことは、まだ多くありません。そうしていただいていれば、こちらから電話を差し上げられるのですが。

確かに留守電にすることが、このところ多かったように思います。歳をとるといろんな役職が回ってきて、診療以外の「雑用事」や会議・会合がどうしても多くなっていることも、その一つです。それに、一時期、ワン切りも多かったですし、間違い電話もけっこうかかってきました。そして迷惑電話(いたずら電話?)も決して少なくありません。携帯の番号を公表しているのですから、仕方ないのですが、それにしても疲れます。

患者さんからの電話にはできるだけ応じようと思ってきていますが、でも時々は気持ちが重くなることがあります。そうとう遅い時間にかかってきて、お子さんのことで相談にのっても、翌日元気が良くなったからと登園してしまい、受診されない方もおられます。夜中に電話で話したあの子はどうしたかな、なんて心配していても、こちらから聞かないとその後の様子が分かりません。朝早くの電話では「何時から診察ですか?」というのもあります。こちらはまだ眠っている時もあるのに。

ずいぶん前になりますが、あるお母さんから「どうして携帯に出ないんですか!?」ときつい調子で言われたことがあります。夜7時半頃にかけたのに出なかったというのです。でもその日は外来が遅くなり、まだ診察室に残っている時間でした。看護婦などもまだ残業していて、医院の電話は普通に受けていたので、携帯は手元に置いていませんでした。

言いにくいことですが、電話のマナーも良くありません。こちらが電話にでると「熱が出ているので診て下さい!」などと、医者は夜中でも働くのは当たり前というような言い方をする方もおられます(そんなお気持ちではないのでしょうが・・)ちょっと待って! まずは自分の名前を名乗り、子どもの年齢などを紹介しながらどんな様子なのか話を進めて下さい。それに、「遅い時間に申し訳ありませんが・・」ぐらいの前置きをしてくださると、少しはこちらも気持ちよく応じられます。

いろんなことがあって、携帯電話が心の負担になっていました(もちろん電話はちゃんと出ていましたし、留守電に入っていればこちらからかけていました)。最近はワン切りはなくなりましたし、きっと皆さんのマナーも良くなってきていることでしょうから、また気持ちを持ち直してお話することにしますね。

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