塚田こども医院

日 誌 2003年5月  月別の索引

2003.5.31(土)

◇ブックレットができました

5月も終わりになります。今月は何だか暑い日が多かったですね。30度を超える夏日が何日かありましたし、診察室でもクーラーを使う日もありました。これから本格的な夏に向かっていきますが、その入り口でこんなことを言っていては、秋までもたないかも・・

今日、ブックレット「病児保育の花を咲かせたい」の印刷が終わって、手元に届きました。神奈川県にある小児療育相談センターから依頼を受けて書いたものです。実際に本になったものを目にすると、自分で書いておきながらこう言うのも変ですが、立派に見えます。慣れないことを頼まれたので、これでやっと肩の荷が下りたような感じです。

来週にも、このHPで内容を呼んでいただけれるよう、原稿をアップしますので、お待ち下さい。

明日は隣の新井市にある休日診療所に一日勤務しています。患者さんは少ないところなので、ゆっくり本など読んでこれるかなと思っています(といいながら、たまった仕事を持ちましたので、のんびりとはしていられませんが)。

2003.5.30(金)

◇元気のでる話

今日は私の出身大学である自治医大の卒業生の集まりがありました。といっても地元の人だけなので、10人ほどのこぢんまりしたものでしたが。それぞれがしている仕事などを紹介したのですが、若い方が一生懸命仕事をしている姿を見て、また元気がでました。

私は当院での子育て支援の話をしてきました。小児科医として真面目に診療をすること自体が子育て支援そのものなのですが、それ以外に特色のあるのとして(1)院内処方、(2)各種の情報提供、(3)HP、(4)わたぼうし病児保育室--これらをあげてみました。

今日のメンバーはみな私の後輩にあたるのですが、一応に感心していただいたようで、嬉しかったです。内容については、いつも私がHPなどで紹介していることですから、読者の皆さんにはよく分かっていただけているかと思います。

今日のために作ったスライドをアップしましたので、よろしかったらご覧下さい。→スライド

2003.5.29(木)

◇小児科冥利(みょうり)

今日は二人の中学生が「職場体験学習」で当院に来られました。二人は違う中学校の生徒さんで、同じ日になったのは偶然なのでしょう。午前中は病児保育室、午後は医院で健診や診療を見学していきました。小さな子どもたちに遊んであげたり、おやつやお昼ご飯を食べさせてあげたりしてもらいましたが、年齢が近いだけあって、仲良くなるのも早かったです。

帰るときに二人から将来の「夢」を聞きましたが、一人は看護婦さん、もう一人は保育士さんになりたいのだそうです。子どもたちが大好きな二人が、子どもたちに優しく触れあうことができるお仕事に就けるようになるといいですね。

職場体験は中学生の授業科目に入っているのでしょうか。毎年のように当院にも可愛い子どもたちが来られています。先日ある歯医者さんに行ったとき、そこの歯科衛生士さんが「中学の時、お世話になりました」と挨拶をされました。6、7年前に職場体験に来られたというです。あの時の可愛い中学生が、立派に成人し、仕事をしているのを見て嬉しくなりました。それも、医療関係に仕事に就いているわけですから、あの時の体験が、なにがしらお役に立てているようなら、よりいっそう嬉しいことです。

前の病院に勤務していた時、小さいときから喘息でずっと通っていた女の子が、その後看護婦さんになったと連絡をもらっいました。私や一緒に仕事をしていた看護婦さんの様子をじっと見ていたんでしょうね(あんな医者や看護婦にはぜったいなりたくない!なんて言われなくて良かった・・)。きっと優しくて素敵な看護婦さんになっていることでしょう。こんな話は「小児科冥利(みょうり)」につきます。

2003.5.26(月)

◇もう一度井上さんのこと

クラシックのギターリスト=井上幸治さんの死去については、先日のこの日誌に書きました。一度アップしたものを誤って消去してしまったこともお話したとおりです。二重の意味で「失意」の中から、もう一度復活させようとしたのですが、何を書いたのかなかなか思い出せません。これが論説文であればあらすじも憶えているでしょうし、それにそって書いていけば、全く同じとは言えないまでだいたい同じような文章を作ることも可能かと思います。でも、今回のように心の赴くまま書いたものは、それを再度書くことは、至難のことです。

一つ思い出したことがあります。それは井上さんのCDを聴きながら、自然と涙が流れてきたという話です。世界的なギターリストですし、上手いのは当たり前ですが、井上さんの「息づかい」が聞こえるようです。もちろん声が入っているわけではありません。ギターの弦をこする時にでるわずかの音です。

井上さんが直接私にお話しして下さったことですが、CDを作るとき、普通は何回も録音し、出来の良いところを編集して「作る」のだそうです。でも井上さんは、最初から最後まで同じ演奏をそのまま使っています。演奏は生き物だから、とおっしゃっておられたように思います。その曲にかける思いの全てがそのまま伝わってくるようです。そして、曲の合間に聞こえる弦のこすられる音が、いかにも井上さんらしい優しい音楽そのものに聞こえてくるから不思議です。そして、そう思うともう涙が止まらなくなってきます。

「そよ風」というCDの最初の曲「マリア」は、奥さんのために作られたもの。それに続くいくつかの小品は、ご自分の子どもの様子をイメージしながら作られたのだそうです。CDを聴いていると、ご家族の温かい雰囲気が伝わってきます。温かく、幸せなご家庭を作られておられたに違いありません。

日本を離れ、スペインでギターの留学をし、そのまま異国で暮らし、スペインでご家族をもたれていた井上さん。まだまだギターのことも、ご家族のこともたくさんし残しておられたことでしょう。病いさえなければ、もっともっと長く充実した日々を送ることができたはずです。無念な思いでこの世を去っていかれたことでしょう。

でも、井上さんのギターと、そしてそれ以上に井上さんそのものに触れることができた私たちに、多くの温かい思い出と、影響を与えて下さいました。その思いが消えない限り、私たちの心の中にはいつまでも井上さんは生き続けています。もう少し気持ちが落ち着いたら、また井上さんのCDをゆっくり聴かせていただこうと思います。

2003.5.23(金)

◇井上幸治さんに哀悼の意を表します

またやってしまいました(>0<) この「日誌」の20日に、ギターリストである井上幸治さんへの追悼文を書いたのですが、誤って消してしまいました。自宅で書いてHP用にアップしたのですが、それを医院のPC(大半のHPの仕事はこちらで行っています)に移さないうちに、古いままのデータを再度アップ。その瞬間に、追悼文は消去されてしまいました(自宅のPCにもバックアップをとらずに仕事をしていました)。

おっちょこちょい、あわてんぼ、見切り発車・・ 昔からよく言われています。「石橋を叩いて渡る(叩いても渡らない?)」というところもあるのに、エイ!っと後先を見ずにやってしまうところもあります。職員にはいつも「確認を!」などと言っている割には、自分ではできていません(自分ができないから、他人に要求している?)。

そんなわけで、井上さんへの追悼文はもう誰にも読まれることがなくなってしまいました(もちろん自分でも)。井上さんへの言葉を、もう一度再現することは不可能ですので、このHPの掲示板に、亡くなられたことをお知らせいただいたお兄さん宛に書き込んだ拙文を紹介させていただくことにしました。

井上幸治さんのご逝去は、風の便りにお聞きしておりました。
やはり本当だったんですね。
ギターリストとしてもそうですが、人間的にもとても成熟した方でした。
無念な思いでおられることかと存じます。
ご冥福をお祈りいたしております。

昨年9月に、当院の狭い待合室でコンサートをしていただきました。
HP内の「日誌」に書き込んでおいてありますが、それをご覧いただいたようですね。
あの時に感動を、まだつい先日のように覚えております。

幸治さんとスペインで一緒にギターを勉強されていた前田 孝さんが、当地に在住で、私はその前田さんから少々ギターを習ったことがあり、そのご縁でコンサートが実現しました。

いらっしゃった時は、すでにお具合が悪かったのは承知しております。
無理をさせてしまったのではないかと、危惧していた次第です。
ギターのすばらしさと、何よりも幸治さんご自身の人となりを感じとることができ、聴衆の皆さんい深い感動を与えていただきました。
心より感謝申し上げております。

今、幸治さんのCDをお聞きしながらこれを書いていますが、涙がとまりません。
本当にありがとうございました。

奥様、お子さま、そしてご家族、ご親戚の皆様のご多幸を祈念しております。
失礼いたします。

合掌

2003.5.22(木)

◇永遠に発展を続ける子育て支援!

今「子育て支援」について、少し考えています。来週、ある研究会で、当院の取り組んでいる「子育て支援」について発表するように頼まれているためです。

子どもたちの健やかな育ちを応援したいと思って、これまでいろんなことを行ってきました。その中の最大のものは「わたぼうし病児保育室」。このHPを通しての情報提供やご質問への回答もそうです。院内でも、毎月の通信、健康づくりや病気などについての多種多様なパンフレットの発行のなど、多くのことを行ってきました。

これらはみな、その時々に必要性を感じ、始めものです。「瞬間芸」のつもりが、線香花火で終わらず、まだ生き続けているのは、飽きっぽい私にとっては異例のこと。なかなかのものだと、自分で関心をしています。

広い意味では、小児科医院を開設し、維持しているだけでも「子育て支援」と言えるのかもしれません。さらに、「予約制」「院内薬局」「院内検査」などを行ったり充実されることも、子育て支援になっているようにも思います。

そう考えると、これまではあまり意識してはいませんでしたが、もっと体系だって見直してみることも必要かもしれません。そんな中で、今足りないもの、次にすべきことなどが見えてくるでしょう。「塚田こども医院の子育て支援は、永遠に発展を続ける!」なんてことになると、スゴイですね。←まるでウオルト・ディズニーの言葉みたい(^^)

2003.5.19(月)

◇トオル君、また会おうね!

この週末は仙台での小児科セミナーに出席してきました。6つの基本講演と1つの特別講演。どれも内容がしっかりしていましたし、新しいことや考えさせられることが多々あり、収穫の多い出張となりました。

仙台での学会や研修会はこれが2回目。最初に行ったのは、もう20年近く前になります。私が27か28歳くらいだったでしょうか。ある男の子を訪ねるのが、実は出張の本当の目的でした。

トオル君は、私が小児科研修をしていたときに、初めて受け持った小児ガンの子。当時は確か4歳くらいだったでしょうか。まだすでにそうとう進行していて、積極的な治療は無理だという意見もあったくらいです。でも、何種類かの抗ガン剤を繰り返し注射するというつらい治療によく耐えてくれて、普通の生活をおくれるまでに回復しました。

まだ駆け出しの研修医ですから、治療の実際は指導医の指示に従っていただけ。私にできるのは、トオル君とできるだけ一緒に過ごしてあげることくらいでした。精神的なサポートというと聞こえはいいのですが、ご両親に病気のことを伝えたときに、涙していたのは私だけというくらいですから、頼りないものです。とくに診察をする必要のないときでも、一日に何回もベッドサイドに行きました。何をするでもなく、彼の隣にいたものです。

お父さんの転勤のために仙台に引っ越しをされ、その後の治療も順調だと聞いていましたが、数年後、ある学会が仙台であると聞き、無性に会いたくなって出かけていきました。もう主治医でもないし、ヘンかな?なんて思いもしましたが、でもトオル君に会いたい気持ちには勝てませんでした。

トオル君の家に泊めてもらい、ご家族の方ともいろいろとお話をさせていただきました。その夜、トオル君に「一緒に寝るか?」と聞いたところ「ウン!」と嬉しそうに返事をしてくれました。朝まで一つのお布団で一緒に眠ったのが、彼との最後の思い出になりました。その後、治療の甲斐なく亡くなられたとのことでした。

今回の出張で、そんな昔のことまで思い出すことができました。小児科医をしていて、子どもたちに先立たれることほどつらいことはありません。といってそれを完全に回避することはできません。どこかで受け入れざるを得ない時が来ます。そんなとき、いっぱいの良い思い出が残っているといいなと思います。思いでの中だけには、いつまでも生きているのですから。

トオル君が生きていれば今はきっと20台前半の好青年になっていたことでしょう。でも私の記憶の中には、いつまでもやんちゃで、頑張り屋さんのトオル君が生きています。「トオル君! 何だか久しぶりに会ったような気持ちになったよ。元気だったかい?」

2003.5.17(土)

◇女性たちに風疹ワクチンを!

このところ「風疹抗体」についてのご質問を多くいただきます。大半は、妊娠が分かった段階で産婦人科で抗体価を測定し、それが「陽性」であることを心配されているものです。

風疹は確かに妊婦さんには怖い感染症ですね。妊娠の初期にもし風疹にかかると、胎児の奇形を生じてしまう可能性があります(先天性風疹症候群)。神経質になるのは分かるのですが、もしそうなら、どうして妊娠前に調べておかないのか、不思議です。

抗体があるということは、その病気に対する免疫があるということです。単純にそれだけで、いつかかったかどうかは分かりません。いくつかの検査を組み合わせたり、経過をおって何回か検査を繰り返せば結論が出てきます。ですが、妊娠初期の段階が問題なのですから、時間ばかりがたってしまう・・という事態になりかねません。

産婦人科の先生はなぜ検査をするのか、疑問です。もちろん検査をすること自体が悪いわけではありませんが、その検査結果の意味するものをしっかりとお話しいただきたいものです。十分な説明を受けていないために不安感が強くなり、ネットを検索してこのHPにたどり着くという方がとても多いことを、ぜひ知っていてほしいです。検査のやりっぱなしは、ときには検査をしないでおいてくれた方がいいんじゃないかと思ってしまうこともあります。

20台の女性には風疹抗体がない方が多いとも聞いています。妊娠してから不安に思うことがないよう、ぜひ、妊娠前に検査を受けたり、必要であれば予防接種を受けたりしていてほしいものです。そのために、私たち小児科医と産婦人科の先生方が「共同戦線」をはらないといけないようですね。

これをお読みの方! あなたは(またはあなたの奥さん、彼女・・)風疹に対する免疫がありますか? 自信をもって「あります」と答えられないかたは、早く小児科や産婦人科で検査や予防接種を受けて下さい!

この週末は、仙台で開かれる日本小児科医会の「全国セミナー」に参加してきます。6つほどのセミナーのほか、齋藤 孝先生(明治大学文学部助教授)の「身体感覚と日本語力を鍛える」という講演会も楽しみにしています。「腰を入れることが大切」として、子どもたちに相撲を教えている異色の先生です。面白いお話が聞けそうです。

2003.5.15(木)

◇細川さんとのもう一つの縁

先日、細川佳代子さんのお供をさせていただいたことはこの日誌に書きました。彼女が上越に来られるのは今回が2回目。1回目は3年ほど前に映画「エイブル」を企画し、その資金集めのために来られています。

実は、ここ上越と彼女を結ぶもう一つの「赤い糸」がありました。それは佐川急便の創業者=佐川 清氏を通じてのものです。佐川氏は上越地域のご出身。苦労して関西で運送業を始めたのが1957年(昭和32年)(私の生まれた年です)。その後の努力で、日本全国を結ぶ一大運送業者に成長していったのはご存じの通りです。

細川さんは熊本藩主のご家系。「お殿様」と言われる所以です。熊本の旧宅などを改修するにあたって、懇意にしていた佐川氏から借財をしています。その後に返済しているというのに、政争の種に使われ、直接にはこの問題を契機に首相を辞任、そして政治の舞台から遠ざかっていきました。

当時、新たに旗揚げした「日本新党」の党首として、今までにはいないタイプのの政治家として私も大いに注目し、そして指示していました。政策ははっきりとして、その達成期日まで明示して実現を目指すのは、今はやりの「マニフェスト」のはしりと言えるでしょう。話し方も明瞭ですし、何よりもスマートです。訪米の時、マフラーを首にまいて大統領(確かクリントンさんだったと思います)と並んでいる姿は、日本人もなかなか見られるものだという思いを強くしました。

記者会見の様子も独特でしたね。下に置いた原稿を棒読みするのはみっともないと、演題の前に、見た目は透明のアクリル版ですが、文字を浮き出させる装置をおき、記者やTVカメラを見ながら話をしていました。記者の質問を受けるとき、ボールペンで「はい、そこの人」という感じで指名しているのも、今までの政治家にはない印象でした。(記者会見は夜遅くになって急に開かれることが多く、記者には不評だったという話もありますが)

政策をはっきりと、分かりやすく、自分の声で伝えようとしている姿は、首相を辞めてそうとうたってはいますが、今でも良く憶えています。今の政治家では、イギリスのブレア首相とイメージが重なってきます。

外遊したときの様子をファースト・レディーとして同行された細川佳代子さんにお聞きしました。日本の首相というと、形はうやうやしくても一段下の扱いを受けることが多いのですが、細川氏はそうではなかったとおっしゃっていました。彼の話し方や内容を考えると納得がいくことです。とくにアメリカは歴史の浅い国なので、細川氏が内包している歴史に対してはとても好意的だったのだそうです。

話はもとに戻って、佐川氏は郷土にもいろいろな貢献をされています。今回の上映会の会場になったのも、その施設の一部(子ども用の室内レジャー・プールなど)は佐川氏の寄付によってできたものです。細川さんには、そんなこともお話をし、案内役を勤めていました。

それにしても、あの細川氏が政治の舞台を退き、陶芸の世界にだけ生きているのは、本当にもったいないこと。このままにしておくのは日本の損失です。もう一度、メチャクチャになっている日本を立て直すために奮起してもらえないものでしょうか。汚い政治の世界に嫌気がさしているというお話ですが、そんな状況だからこそ、細川氏の出番ではないかと思うのですが、いかがでしょう。

2003.5.13(火)

◇細川佳代子さんにお会いして

この日曜(11日)は、午後からずっと細川佳代子さんに同行させていただきました。彼女が中心になって作られて映画「エイブル」の上映会が2か所であり、そこでの舞台挨拶をするためにお越しいただきました。とても多忙な方で、前日は北海道におられ、早朝、新潟に向かってこられたのだそうです。

障害者のための「スペシャル・オリンピック(SO)」の日本委員会理事もされています。世界大会は2年おきにあるのですが、今年はもうすぐアイルランドで開かれます。そして2年後の2005年大会は、日本の長野での開催が決まっていて、その組織作り、資金集めなどの奔走されている毎日です。

上映会でのスピーチが終わったのち、実行委員会や、長野から来られていたSO実行委員会のメンバーらと一緒に打ち上げパーティーにも臨まれました。お客様として型どおりの挨拶をするだけかと思ったら、そこでもSOのこと、映画のこと、障害者のこと、ワクチン募金のことなどを、いつまでも熱く語っておられました。移動の車内でも、日本の社会のこと、女性のこと、子育てのこと、そして政治のことなど、幅広くたくさんのお話を伺うことができました。

細川さんのいろんなお話や活動の内容にも強く感動しましたが、もう一つ大きくひかれたのが、彼女のパワーと人柄です。失礼ですが、もうそんなに若くないのにどこからそんなエネルギーがでてくるのか、不思議です。きっと、彼女の中に、もっと社会をこんなふうにしたいという思いがいっぱい詰まっていて、それがどんどんあふれて来るんだと思いました。

彼女のお人柄にも、感銘を受けていました。障害者のことを語るときの優しさ。でもその中に、本当の強さがあります。一人ひとりの人たちをとても大切にされている様子もよく伝わってきました。何よりも、思ったことをどんどんやっていく中に、生きる喜びを見いだしているようです。

会場の移動の合間に、当院にも寄っていただき、院内を見てもらいました。当院が「世界の子どもにワクチンを」の活動に協力して8年になりますが、初めて「出来事」。随所に飾ってある手作りのお人形(小野裕子先生作)や、私の好きなディズニーのディスプレーを見て、「こんな医院なら子どもたちが怖がらずに来てもらえるね」と言っていただいたことも、とても嬉しかったです。

映画「エイブル」は、実は細川さんとおしゃべりをしたりして全部は見ていないのですが、6月中にはビデオとDVDが市販されるということなので、ぜひ購入し、家族や職員としっかりと見てみたいと思っています。映画の感想は、またその時にお伝えしたいと思います。

先日の体験は、私にとって忘れられない思い出になりそうです。そして、自分自身と、日本の社会を見直す良いきっかけになりそうです。遠路お越しいただいた細川さんに、あらためて感謝申し上げます。そして、ますますのご活躍を祈念しております。

2003.5.10(土)

◇美しい田園風景

今日は新潟市で学会があり、午前の診療が終わった後出かけてきました。たまにはちゃんとお勉強をしてこなくっちゃ!

夕方は市内にいる娘と食事をし、夜遅くなって帰ってきました。帰りの高速道路を運転しているとき、周りの様子がいつもと違うことに気づきました。最初はなぜだか分からなかったのですが、途中でやっと分かりました。田植えのために水田に水が入っていたのです。

北陸自動車道は新潟平野のど真ん中を貫いています。その新潟平野は大きな穀倉地帯。つまり田んぼが広がっています。いつもなら遠くに民家の明かりがぽつりと見えるのですが、田んぼに張られた水に反射し、そのずっと手前に明かりが輝いていたというわけです。まるで湖の畔(ほとり)を走っているようで、とても美しく感じました。

そう言えば、先週通ったとき、もう田植えが始まっていました。雪国にとっては、GWはちょうど田植えのための連休のようなものです(もっとも、米の品質向上のために、今年は田植えの時期を遅らせるように農協が指導しているということも聞きましたが)。

でも、全ての田んぼが耕かされているわけではありません。そのまま荒れ地になっているようなところも目立ちます。きっと減反なのでしょう。きちんと田んぼにしてお米を作れば、美味しいコシヒカリがいっぱいできるはずなのに、もったいない話です。

明日は当地で映画「エイブル」の上映会があり、障害者のボランティア活動を積極的に行っている細川佳代子さんが来られます。細川さんは「世界の子どもにワクチンを」日本委員会の代表もされていて、以前お会いしたこともあります。明日はご一緒させていただくと言うことで、とても楽しみにしています。会場移動の際の運転手も頼まれていますので、ちょっと忙しい日曜になりそうです。

2003.5.9(金)

◇捜し物はやっぱり・・

私の制服は白衣ではありません。Tシャツ(冬はトレーナー)にホワイト・ジーンズ。白衣はこの10数年、着ておらず、昨年、ある全国紙で「白衣を着ない医者」の一人として紹介されたほど有名(?)。もっとも休日診療所では子どもたちだけではなく、大人やお年寄りも診るので、誰だか分からないようでは失礼ですので、その時だけは着ています。年に数回だけの「身分証明」です。

Tシャツやトレーナーで一番多く持っているのはディズニーのミッキーを描いた柄のもの。数年前にあるデパートで、紳士服売場の一角に「紳士用ディズニー」があり、そこに行くたびに買っていました。2年ほどして扱いを終わるというときにはそこそこに買いためておいたものです。その後、いろんな所に行っては、同じ商品がないか探していたのですが、見つかりません。ストックしてある服も次第にくたびれてきているようなので、そろそろ新しい物がほしいところです。

先日、思い切ってそのデパートに問い合わせたところ、今日その返事が返ってきました。製造販売していた会社は、もうつぶれてしまっているのだそうです。なかなか紳士物のミッキーのTシャツは、数多くは売れないということだったのでしょうか(私のような物好きが少ない?)。残念です。

代わりに他のキャラクター物を作っている会社を紹介していただき、カタログなどを送ってもらうよう手配をしてもらいました。以前、輸入物を着たことがあるのですが、体は丁度いいのに、首周りがだぶだぶで、やっぱり体型が違うんだなと思ったこともありました。「日本人のために」作っているTシャツやトレーナーのようですので、今度は期待しています。

今までは「ミッキーの先生」でしたが、これからは別なキャラクターになるかもしれませんね(^O^) !

2003.5.8(木)

◇反省しないこと

昨日はほぼ30度という暑い日だったのに、今日は雨。夜には雨は止んでいましたが、昨夜とは違って肌寒いくらい。エアコンを暖房にして運転したほどです。ジェットコースターのような天候の変化には、だんだんとついていけなくなります。暑いなら暑いなりに一定していたほうが体は楽ですよね。

喘息の子たちにとってもそうです。真冬の寒さが続くことや、夏の暑い季節にはあまり発作をおこしません。春先や秋口といった、気候の変わり目が良くないです。やはり体が天候に慣れていない時がいけないようですね。

昨日は地元のラジオ局=FM-J(エフエム上越)に行ってきました。毎週木曜に15分ほど受け持っている「Dr.ジローのこども健康相談室」の収録です。3回分程度を一度に録音してます。週毎のテーマを決めているのですが、実際に何を話すか、直前まで決まらないことがしょっちゅうです(局に行くまで何も考えず、用意をしていないという方が正解かも)。担当のパーソナリティーの方と打ち合わせをし、そこで内容をつめていきます。といってもあまり細かいことまで決めるわけではなく、こんなテーマで話すからこんな質問をして下さい、というような感じです。

あとはぶっつけ本番。彼女に聞かれるまま私が答えていけば番組はできあがるという仕組みです。ちょっと安易でしょうか。確かもう4年目です。「慣れ」でやってしまっている部分もあり、こうすれば良かったと後で思うこともあるのですが、でもあんまり深刻に反省しないことにしています。

お昼のTV番組に「笑っていいとも」がありますが、司会のタモリさんはその出演回数が世界一になったとかで「ギネス」に載ったんだそうです。「長く続けてこられた秘訣は?」と聞かれてタモリさんは「反省しないこと」と答えています。もっといい番組にしよう、もっと上手に司会しようなどと力を入れすぎると疲れてきて、結果として長くはできないというのだそうです。

タモリさんと同じく「一発芸」で、聞かれたことに対して話をし、そして何より「反省しない」ことが、移り気が強くて、短気な私でも番組を続けてこられたコツなのかもしれませんね。この勢いで突っ切ってしまいましょう!

2003.5.6(火)

◇連休の善し悪し

GWあけの火曜、やはり外来は混雑しました。子どもの病気は時とところを選びません。休みになると決まって熱をだす、具合が悪くなる、といった経験をされてこられた方も多いことでしょう(私もそうでした)。小さなお子さんをお持ちの親御さんにとって、連休は楽しいだけではなく、同時に不安な気持ちも一緒に持っておられるんですよね。

小児科医にとっても同じようなことが言えます。連休になると子どもたちのことが心配ですし、休みの次の日の診療が、どうしても患者さんが多くなることで、待ち時間も長めになりますし、一人ひとりの子どもたちを丁寧に診ることができなります。職員にとっても、業務が極端に集中し、過重になってしまいます。今日はお互い大変な日でした。お疲れさまでした。

昨日は東京で「世界の子どもにワクチンを」のチャリティー・コンサートに行って来ました。以前、この欄でご紹介いたしましたが、当院が8年ほど前からずっと応援しているこの活動と、やはり私が個人的に応援しているソプラノ歌手=崔 岩光(サイ・イエングアン)が偶然ですが合体しました。「子どもの日」ということで、子どもたちのコーラス・グループが崔さんと一緒にステージをにぎわしていました。

「子どもが出るから見に来た」という方も大勢おられたようですが、崔さんの歌声にはビックリし、そして大きな感動を受けておられたようです。今や世界に活躍するソプラノ歌手の生の声を聴くことができて良かったですね。

子どもが大好きな崔さんらしく、最後はステージの上で出場した子どもたち、みんなに囲まれてとても幸せそうでした。まるで保母さんのよう(^^)

「世界の子どもにワクチンを」日本委員会の細川代表にはお会いできませんでしたが、次の日曜に上越にお越しになるとのこと。障害者をテーマにした映画「エイブル」の上映のための来越ですが、お話しできる時間が持てそうということで楽しみにしています。

2003.5.4(日)

◇しばらく物書きの仕事をしていました

この日誌を書くのも久しぶりになってしまいました。このところいろんなことが重なり、なかなか手が回らなかったというのが真相です。

一番大きな仕事は原稿書き。当院の「わたぼうし病児保育室」について書いて欲しいと依頼を受けました。子育て支援についてのブックレット(小冊子)のシリーズの一冊になるのだそうです。これまで雑誌などの中で数ページ程度のものはときどき書いていましたが、小さくても一応「本」の形になるというのは初めて(院内で作製したことはありますが、ちゃんとしたものはこれまでありませんでした)。

原稿の分量も多く、400字詰め原稿用紙で20数枚になります。その分、話のネタも多く集める必要もありますし、何よりも、様々な角度からこの仕事を見直す必要もありました。自分の思っていることが活字になり、多くの人たちに読まれると思うと、いろんな意味で責任が生じます。このいい加減な私でも、それなりに取り組まないといけないというわけです。

この仕事を頼まれたのが3月下旬。おだてられるとすぐに乗るタイプなので、二つ返事でOK。原稿の締切をどうするかと言われて、簡単に「4月末」と言ってしました。どこかにタイムリミットを作らないとなかなか仕事が進まないタイプだと自分で分かっているからです。でも、後先考えずにそう言ってしまったことに後悔していました。

実際に4月の下旬になり、少しずつ準備を始めていましたが、月末の仕事、外来の繁忙さ、GWなどが重なり、身動きできなくなっていって、初めてことの重大さに気づいた始末です。とうとうこのHPの更新、日誌の書きこみ、いただいているご質問への返事書きなど、みんな後回しになってしまいました。

長い文を書くのは苦手ではありません。子どものころからそうでした。高校時代、社会科のレポートに原稿用紙50枚を使ったこともありました。図書室の「雁木(がんぎ)」という名前の雑誌に、やはり50枚近く書いたこともありました(その縁で、当時の図書係の先生と今でも交流があります。よっぽど変わった生徒だと思われたんでしょうね)。

今回もまとめてみて字数を数えたら、はるかにオーバー。そこから削るのが大変な作業でした。もっとも、私の文章には同じ内容の繰り返しや言い換えが少なくないので、それらをそぎ落として、やっとスマートな分になるということも知っていますので、読みやすい文章にしていくためには、つらいけど必要な作業なのですが。

原稿ができあがったのが4月30日の午後8時頃。締め切りのわずか4時間前! 本文はメールで送り、何と期限に間に合わせることができました。メールという瞬間移動の方法があるので、便利ですが、でもますます締め切り間際にならないと仕事をまとめられなくなりますね。いいことなのかどうか・・

いずれ私の書いたものがブックレットになることでしょう(ボツにならない限り)。その時はまたHP上でご紹介します。乞うご期待!

このページの
トップへ

日誌索引の
ページへ

先月の
ページへ

このホームページ
のトップへ