塚田こども医院

日 誌 2003年6月  月別の索引

2003.6.30(月)

◇「1年の半分が過ぎる日」とは?

今日は6月末日。明日から7月ですし、一年の後半が始まろうとしています。今年も何だか早く過ぎていくようですね。

でも、ちょっと待って! 今日で本当に一年の半分が終わるのでしょうか!? 6月30日は1月1日から数えて181日目になります。1年365日の真ん中の日は、実は7月2日なのです。7月2日の正午を過ぎなければ「一年の半分が過ぎた」とは言えません。あと1日半ほど猶予があります。(別に地球最後の日が来るのではないのだから、そんなに気にすることではないですが)

それぞれの月がもっている時間=日数には、不公平があります。2月だけが少なくて、あとは30日か31日。閏年(うるうどし)になっても2月は29日までで、「2月30日」も「2月31日」もありません。せいいっぱい背伸びしても追いつかないのは、やっぱりおかしいのでは・・(そんなことを問題にするのがおかしい??)

1年365日を12の月で公平に分けるとすると、30日ある月が7つ、31日ある月が5つになります(閏年は6つずつ)。それを1月から割り振ると、1月が31日までとすると2月は30日まで、以下、奇数月が31日まで、偶数月が30日までで、11月は通常の年は30日までですが閏年は31日までになります。この逆パターンでは、奇数月が30日まで、偶数月が31日までで、12月が30日または31日。

どうでしょう? いずれのパターンでも、6月末日は1年の183日目にあたり、366日ある閏年でも今日を過ぎると「1年の後半になった」と名実ともに宣言できるのですが・・

まあ、こんなことを気にしているのは他には誰もいないでしょうね。私が2月生まれの「少数派」だからゴネているだけかも。

いずれにしても、今日は月末。「こども通信」を制作中です。明日にはメルマガとしてお届けできます。このHPにもアップしますので、お楽しみに。

2003.6.27(金)

◇新規開業の診療所にて

先日、私の後輩が近くで眼科診療所を開業し、そのお祝いの席に招かれました。新築の医院も見学しましたが、新しくて、きれいでいいですね。内装も置いてある物も、みなピカピカ。開業して13年もたって、少しずつくたびれてきた当院とは違います(ついでに院長もまだ若いです)。

カルテは「電子カルテ」といって、コンピューター上で処理されるシステムです。視力検査などのデータや画像情報も全てこの電子カルテに取り込まれます。紙のカルテに書いたり、データを張り付けたりする必要はなく、ディスプレーとキーボードが各所に置いてあり、先生も職員もそれを使っています。患者さんにもその場で見える形で説明できるということで、先進のシステムが導入されていました。うらやましい限りです。

当院ではアナログ情報の処理ばかり。カルテは旧来の紙で、そこに私の下手な文字。それを使って看護婦が処置をし、薬局が調剤をし、事務員が会計をします。紙のカルテにも良いところがもあります。院内のいろんなところで患者さんの情報が使われますが、そこにカルテさえ持っていけばすぐに情報が引っぱり出せます。各所にディスプレーを置いても、そこから離れれば見ることができません。コンピューターの中にある情報を見るためには、それなりの操作が必要なわけですので、多少の手間と時間がかかります。そんなイイワケをして限り、いつまでたっても「電子カルテ」の世界に足を踏み込むことはないでしょう。

でも、もしかしたら小児科の診療はアナログの情報処理が向いているのかもしれません。診察の時の子どもの様子を見て、「元気があるか、ぐったりしていないか、顔色はどうか・・」などを瞬時に判断します。熱が高くても元気が良ければあまり心配することはありませんが、やたらに具合い悪そうにしていると、何か重い病気があるのかもしれないと警戒をして診療をします。全身状態をみるのはデジタルの情報ではなく、「何となくこうだ」というアナログの情報こそ役に立つようです。・・またこんなことを言い始めたので、「デジタルの世界」はどんどん遠ざかっていきそうです。

そのあとのパーティーで気になったことが一つ。こういった会には、建設会社への感謝状贈呈がつきもののようです。立派な医院を建ててもらったという意味ですが、でも建設会社にとっては当然の「仕事」なんじゃないかと思います。いい加減に建築したとなれば問題で、良心的に良い建築をするのが当たり前でしょう。ボランティアでしているわけではないのですから、こういった席で「感謝状」が当たり前の儀式のように出てくるのは、いかがなものなのかと思います。

私の医院の開院パーティは、細々と行い、形式的なことはみんな省略してしまいました。感謝の意味を込めて設計士さんや建設会社の方をお呼びしましたが、「感謝状」を作るのは恥ずかしくてしませんでした。発行するのが常識なんだということになると、冷たいヤツだなと思われたかもしれませんね。でも、形式を整えるよりも、中身が大切だと思っていますので、悪しからず。

2003.6.26(木)

◇いい仕事をしている調律師さんの話

昨日のこと。自宅のピアノの調律をしてもらいました。半年おきくらいにしてもらっていますし、いつもと同じO氏がいらっしゃいましたが、今回から少し違っていました。

調律が終わった後は、いつものようにお茶を飲みながらおしゃべり。その中で、今回は会社から独立して個人で営業しているが、仕事のし方がずいぶん変わったとおっしゃっていました。調律の仕事自体は同じですが、「調律は人間の健康診断と同じ」というパンフレットを作って、ピアノにとってどうして調律を定期的にしておく必要があるのか、分かっていただくように工夫をされています。会社の中にいると、そんな大切なこともなかなかできなかったのだそうです。(患者さんのためにいろんなパンフレットを作ろうとしたら、「前例がないから」と良い顔をされなかった私の公務員時代の話にも似ています。)

いろんなピアノの調律をしていると、内部にカビが生えていたり、ホコリだらけになっているものも少なくないとか。これまでは、雑巾とバケツを借りて水拭きをしたり、掃除機を借りて中をきれいにしたりすることもあったそうです。でも、今では自分でそれらを車に積んでいき、積極的に取り組んでいるとのこと。「調律師さんにそんなことをしてもらったのは初めて!」「ピアノって、きれいにしてあげられるんですね!」などと驚きと喜びの声を多く聞いているそうです。(学校の音楽室は、最上階の一番離れた部屋にあることが多く、さらに学校の備品の掃除機は大型で、階段を持って運ぶのがとても大変だから、自分で軽いのを持って行くんだともおっしゃっていました。)

ピアノはとてもデリケートな楽器で、たえずきちんとお手入れをしてあげないと良い音がでません。いわば生き物。ちゃんとメンテナンスをすると、長く良い状態を続けることができます。一般の人にとっては、調律はもちろんのこと、中をきれいに掃除したりすることなど、普通はしていません。調律すらあまりしていないことも多いのですから。

その意味で調律師は、単に音を合わせる「調律」だけではなく、ピアノ全体のメンテナンスをする唯一の人ということになります。そんなふうにピアノと付き合ってくれる調律師さんに面倒をみてもらえたら、持ち主にとってはとても嬉しいことです。いや、何よりも喜んでいるのはピアノ自身でしょう。気持ちよくしてもらったあとの音色は、さぞ気持ち良いものになっているはずです。そしてそれは、聴く人を心地よくさせてくれます。

自分の仕事に、誠実さをもち、真摯な気持ちで取り組んでおられる調律師さんに出会えて、私もまた嬉しくなりました。やっぱり、「いい仕事」がしたいですね!

ちなみに料金は会社の時よりもお安くなっていて、それもハッピーでしたよ(^^)

2003.6.24(火)

◇トイレの水がもったいない

昨日からのトイレ話の続きです。水洗トイレで流す水って、飲める上水道を使っているわけですが、もったいないですよね。ある程度は衛生的であるべきでしょうし、透明度も必要。鉄分が多いと便器が次第に赤くなっていきますので、そういった不純物も取り除いてなければいけないですが、でも飲用である必要はありません。

私がいた大学では、学内から排水される下水道を特別な水処理プラントで再生し、トイレの水にとして再利用していました。用語が正しいかどうか分かりませんが、いわば「中水道」を持っていました。そこで処理された水は、検査の上では飲用にもできる程度まできれいになっているとのことでした。

ヨーロッパでは「中水道」の整備されている都市もあるとか。トイレだけではなく、庭の草花の水やり、自動車の洗車など、飲料水でなくてすむ水はいっぱいあります。

アポロなどの宇宙船では、下水(というより屎尿そのもの)を処理して飲料水にしているそうです。確かにそこまでしなければ宇宙での長期の滞在はできないでしょう。そして、そこまできれいに処理できる技術がすでにあります。

トイレに毎日大量に流される水道水・・本当にもったいないですね。下水道を完備して完全に処理しても、川や海に排出しているのは同じこと。日本列島は雨が多いとよく言われますが、実は山から海までの距離が短いために、有効に利用できる水量は限られているのだそうです。いつでも水不足、水飢饉になりやすい構造をしています。(これは、何年か前に娘の夏休みの宿題で、「水」について調べた本に書いてありました。)

今年の梅雨はどうでしょうか。例年より雨が少ないように感じるのですが。もし「カラ梅雨」だと、夏は大変です。いつもギリギリのところで水を使っています。いわば「自転車操業」。下水処理を発展させ、中水道を使うことで、もっと余裕をもって水利用ができるようになると思うのですが、いかがでしょう。それこそが「自然に優しい」人間の生活スタイルです。

2003.6.23(月)

◇災害時にもトイレが使えるようにするために・・

今日はトイレの水のことを考えてみます。1度にトイレに流す水は20リットル程度。それを1回の用で2回は使いますよね(女性の方はオシッコの時にも最初に1回流しているようです)。3回以上使うことあるでしょうから、1回に50リットルくらいでしょうか。1日5回トイレに入るとすると、一人で1日250リットル程度。浴槽が200リットルくらいですから、あの浴槽に貯める水と同じだけを一人でトイレで使っていることになります。

家庭単位で考えると、4人家族では1,000リットルがトイレで使われます。職場単位では・・当院では20人ほどの職員がいて、昼間だけなので一人で3回使うとすると、250リットル×20人×3回=15,000リットル! 1リットルのペットボトルでは15,000本ですし、1升ビン(1.8リットル)では8,300本ほど。長さ10メートル、幅5メートル、深さ1メートルの幼児用プールがあるとすると、水の量は50立法メートル=50,000リットルになります(確かそうですよね)。当院では職員が毎日その半分をトイレで流していることになります。とにかくすごい量ですね。

どうしてこんな計算をしたかというと、災害時の危機管理としてトイレの問題がとても大きいからです。今日の昼間、当院での対応策を職員に説明したり、非常電源装置を実際に動かしてみたのですが、その中でトイレの水が一番やっかいなことだと感じました。停電用に自家発電機を2機備えていますし、飲料水も多少蓄えてあります。トイレ用には500リットルのタンクを設置してあるのですが、先の計算では一人1回に1度の使用としても25人ほどでなくなってしまいます。

当地は雪国ですので、消雪用の井戸が掘ってあります。トイレの水にそれを利用することを思いつき、すでにタンクとの接続工事は終わっています。今日確かめましたが、水量は大丈夫。どんどんと汲み上げてくれますので、水量については何の心配も要りません。電源も非常用電源装置から、ガソリンさえあればいくらでも供給できます。でも、問題が一つ。それはトイレまでの運搬です。20リットルというと重さは20キログラムになります。それは大変な重さ。女性がラクラク運べるものではありません。(ちなみに当院には私を除いて男性はいませんし、私は肉体労働はしないことになっています・・)

年末までに医院のトイレを改装しようと計画していますので、その中で何かうまい方法はないものか、考えてみます。何か良いアイデアはありますか?

2003.6.21(土)

◇学生時代の思い出(4)---カリスマ保育士に叱られた!

6月6日の日誌に、私にとっての「わたぼうし」のルーツを書きました。当時のカリスマ保育士=斎藤公子さんにも触れましたが、それを読まれたある方からメールをいただきました。「わたぼうし共同保育園」があったころ、地域の保育園で保育士をされていた方です。斉藤さんのお話を一緒にお聞きしましたとありましたが、それは誤解でして、地域の保育園が斉藤さんをお呼びし、私たちはそれに便乗して共同保育園の一室にお連れしてしまったのが真相です(講師料は無料、交通費は地域の保育園の負担、私たちはお茶菓子を買っただけ)。

その方は地域の子育て支援の事業をされているようで、そこでお母さん方と勉強するときの教材に、このHPを利用しているとのことでした。何とも嬉しいことです。すぐ近くの大学で医学を学び、結婚し、子どもが生まれ、子育てに取り組んでいた私が、今同じ場所で地域の方と接することができているなんて! 間接的ですが、でも地域の方に恩返しができているような気持ちになりました。今後とも末永くお付き合いをお願いします。

斎藤公子先生をめぐって、一つの「秘話」があると書きました。恥ずかしいのですが、思い切って書きます。斎藤先生に、みんなの前でピッシャッと叱られたのです。子どもたちが書いている絵を見て、批評するのを得意としていますが、一枚の絵の端に「へのへのもへじ」が書いているのが見つかりました。先生は「誰ですか! これを書いたのは?」と聞かれ、その口調に(怒られそう・・)と思いながら、「私です」と返事をしました。「いいですか、これは絵ではありません。こんなのを書いて、子どもに豊かな感性が育つと思いますか!?」 私は小さな声で「すみません・・」と言うのがやっとでした。

私は絵を描くのがとても苦手。なぜそうなったのか、多少は分かるのですが、とにかく描けません。情緒あふれる子どもに育ってほしいと思いますが、でも、自分では書けません。子どもが、パパも何か書いてとせがむので、ごまかすつもりで書いたのが、くだんの「へのへのもへじ」です。それが教材として見ると、子どもにとって良いとはとても思えません。でも、書けない中で、パパが自分のために書いてくれたんだと子どもが思ってくれれば、それはそれで「親子のつながり」にはいいのかな・・などと弁解がましいことも考えましたが、とても「保育士の神様」には言えませんでした。

そんな思い出も、20数年前にはありました。もうずいぶんと昔ですね。世代が一つ新しくなっています。その当時と比べて保育の事情、あるいは子どもの育ちの様子は良くなっているのでしょうか。少し考えてみたいと思います。

2003.6.19(木)

◇パロディーって何?

3日ほど前のテレビ番組で、SMAPが日本からの亡命を希望して大使館に走り込もうとする映像が流れていました。もちろんバラエティーで、その後日本の良さを説得されて亡命をあきらめるというのがストーリーだったようです。私はその冒頭のシーンを見て嫌悪感に似たものを感じ、チャンネルを変えてしまったので、最後までは見ていたなったのですが・・

今日の夕刊では、直後から抗議の電話が100本ほど放送局に入り、HPで謝罪分を掲載したとのことです。映像からして、北朝鮮から中国に渡り、日本大使館に亡命を求めて来た幼い子どもを含む家族を連想させます(というより、何の修飾もなくそのものでした)。

今回のストーリーはパロディーだということです。パロディーとは「風刺」です。何か社会的な事件などに対して、間接的に反対や疑問の意思表示をするものです。先の亡命事件の時に問題になったのは、まずはベースには北朝鮮の政治のことであり、中国の亡命者を捕まえようとする姿勢であり、日本の亡命者を受け入れないどころか、閉め出そうとする冷たい態度であり、日本大使館員が日本の主権が蹂躙されているにも関わらず中国の警官に対して「親切に」対応した恥ずかしい振る舞いです。亡命しようとしていた家族には、問題は何一つありませんでした。

今回のTVでは、これだけ多くの、そして深刻な問題がある中で、いったい何を風刺しようとしていたのでしょう。少しでも問題意識をもってあの事件を見ていたのであれば、あんなストーリーを作ることはできなかったはずです。

HPでは「配慮に欠けていた」とコメントしているということです。あの一家に対して配慮に欠けていたというのは、確かです。人権感覚はゼロ。同時に、先の亡命事件をただの「騒ぎ」として感じていない放送局の姿勢が、はっきりと見えてしまいました。

誰か、そんなマスコミを風刺するバラエティーを作ってくれませんか?(*_*)

2003.6.18(水)

◇疲れた時は早く休みましょう

今日は地元FM局で、レギュラー番組の収録。毎週15分の番組を受け持っていて、1日に3回分を録音してきます。打ち合わせも入れると1時間ほど話続けるので、けっこう疲れます。以前4回分を一挙に作成したこともあったのですが、最後の方は集中力がなくなって、上手く話ができず、3回くらいが限界だと思っています。

パートナーをしていただいているパーソナリティーのあすかさんは、朝7時から午前中いっぱい生放送で話し続けています。そのあとにまた収録もするのですから、いくらしゃべるのが仕事とは言え、その体力と気力に脱帽。声がかれるなんて、経験したことがないんでしょうか。

私の場合は話すぎると声がかれてきます。もともと低めの声なのですが、それがカサカサしてくるので、いっそう聞きづらくなるようです。そして、声がかすれてきたことを自覚すると、途端に疲労感に襲われます。診療の時にもそうですが、急に仕事のペースが落ちてきます。そこまでですでに余力がなくなっているからなのでしょうね。

風邪をひいたときにもそんなことを経験します。寒気やだるさがあって「風邪をひいたようだ」と思っても、仕事中は熱は計らないようにしています。高い熱になっているようだと、それが分かると気持ちまで急に病気になってしまいます。知らなければ「まだ大丈夫!」と思えるのですが、知ってしまったら気力まで熱に負けてしまうよう・・

「病は気から」--この言葉にも、それなりの意味はあるようです。もっとも、普段の不摂生が原因になっていることが多いので、「だから言ったでしょ!」などと言われかねないのがイヤなだけかもしれません。単なるへそ曲がり?

2003.6.16(月)

◇朝日新聞の取材がありました

このところ「わたぼうし病児保育室」が何かと話題になっています。今日は朝日新聞の方が取材にこられました。実際の病児保育の現場を見ていただき、保育士からその仕事の内容や預かった子どもたちのこと、親御さんのことなどの話を聞いていただきました。私からは「わたぼうし」を始めるまでのこと、今までの経過、そして今後の課題や見通しなどをお話しいたしました。

これまでの2年間の経験から、私たちが「肌で感じた」ことがいくつかあります。その一つが、急性期の病児を受け入れです。子どもが園を休む病気でもっとも多いのが風邪などの感染症。そしてその大半は、急な発症です。極論すれば、子どもたちの急な病気に対応できなくては、「病児保育」の意味がありません。

当院の「わたぼうし病児保育室」がまだ2年間の歴史しかありませんが、当初の予想以上に利用していただいているのは、急性期の病児保育に積極的に挑戦してきたからだと自負しています。病気の回復期の子どもたち(病後児)だけを対象としていたのでは、親御さんの本当のニーズに応じきれないでしょう。

「今後の課題」の一つが施設の充実です。現在使用しているのは医院の2階で、院長の旧自宅。それなりのスペースを作ったつもりですが、定員(4人)を大きくオーバーする日も少なくありません。先日もこの欄でお話をしましたが、年内の早い時期に医院を増設しようと、今計画中です。設計士さんらとの打ち合わせも進んでいて、手元には仮の図面も到着ました。それを見ると、私たちの仕事が花になり、実を結びつつあることを実感しています。数千万円の費用を医院で負担することになりますが、それもまた良し!という気持ちになってきています。

今日の取材で、私たちの思いがどれくらい伝えることができたか分かりませんが、まだまだ一般方には認知度の低い病児保育について、マスコミに登場するのは嬉しいです。7月1日付けの新潟県版に掲載予定とのことで、今から楽しみにしています。

2003.6.14(土)

◇今日は13回目の開院記念日

今日は当院の開院13周年の記念日になります。1990年(平成2年)の今日、開院しました。開業する前まで勤務していた病院は県内のずっと離れたところだったので、最初は「知名度ゼロ」から始まりました。今ではそれなりに患者さんが来て下さいますし、地域で信頼されていると実感しています。そして、その分責任も大きくなっていることもまた確かです。

今月に入って感染症の流行はあまり見られなくなりました。少しずつ時間に余裕ができてきています。冬から春にかけてずっと忙しくてできなかった仕事もたまっています。知識も「放出」しっぱなしなので、多少は「充電」しておかなくては。

でも、元々は怠け者なので、ヒマがあるとかえってさぼってしまいます。一つの仕事をするにも、それにとりかかるまでに時間がかかりますし、途中の思考過程や決定・実行のも回り道をしてしまいがちです。じっくりと考えて取り組んだ方が良いものもありますが、大半の仕事はどんどんと進めて行った方が良いもの。ゆったりとした時間があるにもかかわらず仕事を片づけるペースが遅くなるので、かえって仕事がたまってしまうこともあります。

「とりあえず主義」というのを誰かが提唱していました。完璧・完全な結果を求めず、まずできることからこなしていけばいいというのです。私の仕事スタイルは、まさにこれ。必要な時にはあとでまた振り返ればいいというのですが、実際には見直したことなど、あまりありません。

医院にとっての次の一年、忙しくてもそうでなくても、この「とりあえず主義」で走っていくことになりそうです。これからもまたよろしくお願いします。

2003.6.13(金)

◇コンビニvs.スーパー

やっぱり梅雨なんですね。雨こそ降りませんが、湿度がとても高くて、黒々として雲が空を覆っていました。風が吹いてもちっともさわやかな感じがありません。診察室は一日中エアコンを入れていましたが、それでも仕事が終わると、ベトッと汗ばんでいました。

近くにある大手のスーパーが、食品売場の営業を「24時間」にしています。ずいぶんと思い切ったことをしたものです。今の日本の不景気さが小売業にも影響を与えているのでしょう。スーパーが競争相手と考えているのはコンビニだということです。それに対抗するには、品揃えなどの工夫の他、営業時間も重要な戦略だというとらえ方をしているんですね。

仕事の帰りがけっこう遅くなることもあり、コンビニは私もよく通います。でも、夜中にはなかなか行きませんね。今の若い人たちが夜遅くになっても出かけていくのは、社交場になっているのかも。あるいは「コンビニ依存症」になっていて、どんな日でも一回はコンビニに寄らないと気が休まらないなんて人もいるのかも。

でも、スーパーの食品売場はどうなんでしょう。パンやおにぎりなど、夜食ならコンビニで十分でしょう。わざわざ郊外のスーパーまで行くことでもないし・・ 野菜、肉、魚などの食材はあまりコンビニには売っていないので、それらが欲しい時にはスーパーが24時間あいているのは便利。でも・・夜中にそんな料理の材料を買いにいくなんて、どれくらい需要があるんでしょうね。今度、夜中のスーパーをのぞいてみようかな。

働く人はどうなんでしょう。大変ですよね。交代勤務や夜間専門の職員を配置するのでしょうが、夜は眠るのが、体にとっても当たり前。従業員の健康を考えると、あまり誉められたことではないように思うのですが、いかがでしょう。

ちょっと疑問に思ったのですが、閉店間近の割引は、もうなくなるんでしょうか? 食品売場に閉店はないのですから、消費期限さえ問題なければ、あえて割引をしなくてもいいわけです。けっこうお安い買い物ができることもあったので、残念です。仕事が終わってからの買い物は、夜は閉店するスーパーに行った方がいいようですね(?_?)

2003.6.12(木)

◇わたぼうし病児保育室2周年

ここ新潟も今日「梅雨入り」しました。雨は降ってはいませんが、湿度が高くてムシムシしたイヤな天気。むしろざーっと雨になった方が気持ちいいかも。

「梅雨入り前の大仕事」だった駐車場のライン引き・・今日も頑張りました。医院の周りはだいたい終わりましたが、まだ半分ほどが残っています。時間があってお天気も良い時はなかなかないかもしれませんので、残りは気長にやりましょう。

今日はわたぼうし病児保育室開設から2周年。ヨチヨチ歩きから、すたすた上手に歩けるようになりましたし、時にはかけっこのしています。自分で言うのも何ですが、ずいぶんと成長したものです。

多くの方に頼りにされ、「助かりました」「ありがあとうございました」の言葉に励まされたり、勇気づけられたりしての2年間は、とても早かったです。これからもっともっとパワー・アップしていきますので、どうぞよろしく。

2003.6.11(水)

◇梅雨入り前の化粧直し

新潟は梅雨入りまでもう少し“猶予”がありそうです。今日の夕方は時間があったので、医院駐車場の白線引きをしてみました。白いラインは、時間がたつと次第に消えてきます。雪国はそのスピードが速いのですが、一つには冬場につけるスノータイヤのせいがあります。夏場のタイヤよりも固いので、路面を強くこすってしまうようです(もっとも、昔の「スパイク・タイヤ」ほどではありませんが)。

もう一つは「消雪ポンプ」のためです。地下水を汲み上げて駐車場にまくわけですが、鉄分の含有量がとても多く、路面を赤茶色に染めてしまいます。白いラインもくすんだ茶色になってしまうというわけです。

先日、量販店で「ライン引き用の塗料」を見つけたので、それを使ってみようと思っていました。お天気も良い日もあまりなさそうなので、思い切って決行! 塗料のほか、塗るためのローラーも買ってきて、試しに裏のほうで使ってみたらバッチリ。さして手間ではなく、それでいて見た目にとてもきれいになりました。その次は医院の入り口近くのラインを塗ってみました。車の縦の長さがだいたい5メートル、それを30本くらいは塗ったでしょうか。(医院全体の駐車場は100台ほどのスペースがあるので、それと同じくらいの本数のラインがあるはずです。となると、まだもう2、3倍は塗らないといけない勘定になります・・)

全部はできなかったのですが、それでも見違えるほど“美しく”なりました。もうすぐ当院の開院13周年になりますが、駐車場にも敬意を払って“お色直し”といったところでしょうか(^^)

◇アクセスが90,000件になりました。大勢の方に訪れていただき、ありがとうございます。秋口にはもう一つ上の大台になりそうです。引き続きよろしくお願いします。

2003.6.9(月)

◇わたぼうし病児保育室新築へ!?

わたぼうし病児保育室の利用は、4、5月は昨年のほぼ倍ありました。それが、今月に入ってやや少なくなっています。外来の混み方もさほどではなくなっていますから、子どもたちの中では感染症などの流行は落ち着いてきているのでしょうね。良いことです。

でも、このまま利用がなくなっていくことはないはず。秋以降はまた増えてくるでしょう。昨年秋は定員いっぱいのときも多かったので、今年はどうなることやら・・ 2年前に開設しましたが、当初の利用者の少なさを心配したのとは違って、定員オーバーを心配しています。設置者としては「嬉しい悲鳴」です。

でも、問題になるのがスタッフの確保と施設・設備。スタッフについては、医院の職員がそうがかりで対応することで、これまでもやってこれました。ベースになる常勤職員を今より手厚くしておく必要もありますが、突発的な利用の多さには、これまでと同じ“手法”でいけそうです。

問題になるのは施設。今の医院2階の“空きスペースの利用”だけでは、そろそろ限界です。専用で、もう少し広いスペースが確保できれば、どんなに子どもたちが喜び、保育士も仕事がしやすいことか。それを解決するには、保育室の新設(医院の増設)しかありません・・

ということで、先日来、設計士との打ち合わせを始めました。まずは“ジョブの応酬”・・現状の問題点、こちらの希望、国の設置基準などを伝えて、とりあえずのラフ・スケッチを描いているところです。これから設計図を作る作業をし、早ければ秋の終わりまでには新しい保育室がスタートする・・といいですね。

運営費も大幅な赤字を出している事業ですので、そこにもってきて施設の新築にそうとうの資金を使うのはどうか、と躊躇する意見が、私の中にもあるのは事実です。でも、このまま利用者増が続けば、施設がパンク状態になり、満足のいく病児保育ができなくなります。それだけは避けたい・・ でも、公的な補助が得られるという方向がまだ見えてこない中で、自己資金のみでどこかでできるか・・

しばらくは、胃の痛む日が続きそうです(>_<)

2003.6.6(金)

◇学生時代の思い出(3)---あの時の保母さんが今・・

わずか園児3名、保母さん1名で始まった小さな「わたぼうし共同保育園」。その運営など、どれをとっても初めてのことですし、大変でしたが、でも今思えば楽しいことも多かったです。そこでも苦労も、みな自分の「人生の肥やし」になっているようにも思います。

最初は保母さんが1名ですから、お昼も満足にとれませんし、お休みもなかなかとれません。「共働き」3家族の中の唯一の例外は私。学生ですから、時間の自由さはそこそこにあります(もっとも医学部は実習や試験などが多いので、全くのプータロウをしていたわけではありませんが)。お昼には自分と保母さんのお弁当を持っていって、子どもの面倒を見ながら食べていることもよくありました。保母さんが休みをとるときは、私の出番! 朝、自分の息子を連れていって、そのまま夕方まで、3人の子どもと一緒に過ごしているときもありました。

少しずつ園児が増え、それに伴って保母さんも増員していきました。私は、卒業までの1年半ほどお世話になったのですが、最後のころは園児が10名を超えていたと思います。比較的大きな職員住宅を、大学から無償で借りることもできました(名目は共同保育園ではなく、他大学からの研修生の宿泊施設で、実際に夜になるとその2階に泊まっている人たちがいました)。その1年後くらいには、大学が職員の福利厚生施設として「託児所」を作り、「わたぼうし共同保育園」は発展的に解消し、短い歴史に幕を降ろしました。

保母さんとは、いろんなことで話をしました。せっかく保育をするのだから、ただ子どもを預かるだけではなく、子どもたちが健やかにより良い成長をとげることのできる保育園にしよう! などと、ずいぶんと志が高かったです。保護者との話し合い(勉強会)も月に1回は持ちました。お互いに保育の本を紹介しあったり、他の施設に見学に行ったりもしました。

中でも、埼玉県の「さくらんぼ保育園」にはバスを借りてみんなで行ったのを、よく憶えています。ここは子どもたちの豊かな発達を保障しようと、先進的な試みをたくさんしているところ。当時の園長=斉藤公子さんは、今で言えば「カリスマ保母さん」。多くの著書、子どもたちの様子をとった映画や写真集があり、ずいぶんと参考にさせてもらいました。その斉藤さんの実践の場を見せてもらい、子どもたちの様子、施設の作り方など、「斉藤さんはこう考えているんだ」と感心したものでした。(そんな斉藤さんが、私たちのわたぼうし共同保育園に来て下さったことがありました。その時にあるエピソードがあるのですが、それはまた後日・・)

わたぼうし共同保育園でお世話になった保母さんの中に何人かは、年賀状などで子どもたちの近況を報告しています。「わたぼうし」の解散とともに、それぞれ独自の道を歩んでおられます。お一人の方は、なんと市議会議員になっておられます。当時は「Kちゃん先生!」などと軽々しく呼んでいたことのがウソのようです。

2003.6.5(木)

◇学生時代の思い出(2)---「ライオン丸」

一昨日に、小さな子を抱っこしていて学生時代を思い出したと書きました。自分でそう書きながら、もうすっかり忘れていた初めての子育てをめぐってのエピソードが次第によみがえってきました。今日は「ライオン丸」の話をしましょう。

産休明けからの乳児保育の体制が職場にも地域にもなかったため、困った家族が集まって「わたぼうし共同保育園」を作った話は、今まで時々しています。大学構内にある職員住宅の一室を借りて、保母さんを一人お願いし、細々と始まりました。

当時の産後休暇は6週間だったので、産休明けの乳児というとまだ「生後43日目」。育児休業をとれる職種も限られていました。看護婦や教員などではそれが認めれていましたが、実際にはまだあまり普及してはいませんでした(ちなみに我が夫婦では妻が制度としてはとれるのですが、そうなると「失業状態」になってしまうので、あきらめました)。そんな首もすわらない赤ちゃんの集団保育を実践し始めました。

栃木県にいて、気候としては良かったですね。冬でも昼間はポカポカと陽射しがあたり、半袖で過ごせるような日が続きました。子どもたちをお散歩に連れ出したいのですが、抱っこやおんぶではとても無理なので、大きな乳母車がないものかと探しましたが、見つかりません。業務用の物では何十万円もして、とてもとても買えません。そこで考案したのが、ベビーベッドにキャスターを付けて「移動ベッド」にしてしまう方法です。

大工仕事が大好きな私ですので、さっそくキャスターを買いに行きました。木製のベッドだけでは構造的に弱いので、L字型の補強剤を某講座から分けていただきました(親切にして下さる教員の先生方が多かったのです)。日曜大工で作り、さっそくお散歩に出かけました。

教員住宅の中がお散歩コース。舗装してある歩道をゴロゴロと押していって、その途中で広々とした芝生に降ろして自由にハイハイさせてあげました。その隣には学生寮があり、その中の広いラウンジでも遊んで来ました。(ちなちに私のいた自治医大は「全寮制」で、全学年600人以上が入れる大規模な寮が完備。私は結婚したので晴れて退寮・・ 寮にいるのがイヤで結婚したという説もまことしやかにささやかれていましたが、真相はいかに・・??)

この「お散歩用ベビーベッド」が「ライオン丸」です。でも・・ライオン丸の名前の由来が今一思い出せません。保母さんと話をしている中で、けっこう安易に決まったような気もしています。でも、ライオン丸を押しながら子どもたちを散歩の出かけていったのが、私にとっても「育児原風景」の大切な一枚になっています。

2003.6.3(火)

◇学生時代を思い出しました

昨日のお昼休みのこと。わたぼうし病児保育室で預かっていた1歳ちょっとの女の子=Mちゃんが大泣きをしていました。どうもお昼寝をするのがイヤで、保母さんにおんぶをしてもらっていたのに、降りて遊びたかったようです。私がどうしたのかな?と思って顔をのぞかせると、私に抱っこをせがんでくるようでした(大いなる誤解だった?)。そのまま私の休憩室へ行き、ソファーに座りながら抱っこをしていると、とても落ち着いていて、静かにしていました。

午後の外来が始まるまでまだ時間があったので、診察室で仕事をするのもそのままMちゃんを抱っこしていました。ぬいぐるみやおもちゃには関心を示さず、私の携帯電話をかまったり、パソコンのキーボードをいじったりしているのが好きなようでした。何とも可愛らしい仕草に、仕事はあとでもできるんだからと、しばらく付き合っていました(それとも、Mちゃんが院長に付き合ってくれていたのかな?)。ちょっとハッピーな気持ちになったひとときでした。

こんな可愛い子とのお付き合いができるのも、わたぼうし病児保育室があるからこそ。いつもは「子育て支援」のためと言っていますが、昨日ばかりは「院長のメンタル支援」の意味合いもあったようですよ。

そして、ふと学生時代を思い出しました。私の上の子が同じ1歳すぎくらいだったとき、こんなふうに息子を抱っこしながら、医師国家試験の勉強をしていたものです。長男は医学部5年の秋に生まれましたので、Mちゃんくらいの時は、卒業試験と国家試験のために目の色が変わっていました。昼間は学生として勉強をしたり、試験を受けたりし、夕方「わたぼうし共同保育園」に子どもを迎えにいきます。仕事をしている妻の代わりに、子どもと二人で過ごす時間も少なくなかったように思います。良く息子を抱っこしながら机に向かったものでした。

その頃に比べれば、体力も気力もぐっと落ちていますので、同じような「子育てと勉強の両立」はできないでしょう。でも、もう少しで孫の世話をしなければいけなくなったりして・・ もう少し体力くらいはつけておかなくてはいけないようです。

2003.6.2(月)

◇6月になりました

昨日から6月。週末は低気圧の通過で雨風の厳しい、あいにくのお天気でした。今日は気温・湿度とも下がって過ごしやすい一日になったようです。

先週末から、娘はテニスの試合に明け暮れています。昨日は荒天のため、試合が延期。今日はきっと晴れやかな顔をしていることでしょう。

昨日は休日診療所の勤務で一日が終わりました。普段の外来とは違って、とてもゆったりしていて、むしろすることがなくて困るほど。毎回のことですが、仕事や本を持ち込んで時間を過ごしています。「急患診療所」ですから、建前から言っても患者さんが少ない方がいいに決まっていますが、でも、あまりに患者さんが少ないと、何のために自分は日曜をつぶして勤務していなければいけないのか・・などをワガママな気持ちになってきます。多少は「今日も仕事をしたぞ!」という達成感が欲しいものです。

先に紹介したブックレット「病児保育の花を咲かせたい」ができてきました。今日はそれをわたぼうし病児保育室の会員や賛助会員などの方へ送りいたしました。自分が書いたものですので、原稿段階から何回も目を通していますが、このような本という形になって、改めて読み直しています。2年間の実績と、この小冊子の作成をいう事業を通して、大きな達成感を感じているところです。

今回ブックレットを作るにあたって、お骨折りをいただいた神奈川県の小児療育センター・子育て事業部部長の菅井さんには、あらためて感謝申し上げます。

このHP上にもアップしましたので、宜しかったらお読みになって下さい。(本にするとき、字数の関係で削除した箇所がありますが、HPにはその前のものを使いました)
 → ブックレット「病児保育の花を咲かせたい--ある小児科医の子育て支援--

こども通信6月号もアップしてましたので、ご覧下さい。

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