塚田次郎著

「日報を読んで(6)」(1999.9.14)


夕刊には暖かい「顔」が/斉藤次郎さんのコラム

私の担当する最終回にあたり、これまで取り上げてこなかった側面から紙面評をしたい。

本紙がローカル・メディアの本領を発揮するのは、夕刊の発行である。朝刊は前日夜までのニュース。テレビなどの他のメディアは、もうその先を走っている。夕刊は、速報性では劣る新聞の短所を補っている。個人的だが、一日の仕事を終え、自宅でゆっくりと夕刊を読むことができるのはうれしい。

また、夕刊は朝刊とはずいぶん違った「顔」を持つ。私が必ず目を通す「プリズム」欄は、わずか35文字の中に、編集者からの多くの思いがこめられている。7日付では「町有地の売却に揺れる巻町議会。事は重大、非公開では開かれた議会が泣く。」と、公開責任を放棄した議事運営への憤りが語られている。同日付には、「『軽老の日』にはしないために。プレゼントにも真心を込めたい『敬老の日』。」ともあり、老人への優しい心づかいが感じられる。紙面を一通り読んだ後、「プリズム」から別の見方を教えられ、記事を読み直すことも少なくない。エッセンスを3行に凝縮し、夕刊をしっかりまとめている編集者に敬意を表したい。

同じ夕刊の「記者つれづれ」も、いつも楽しみにしている。記者が持ちまわりで担当し、身近に感じ、考えていることを書いていて、興味深く読んでいる。「助言役ホゴ 加茂氏の無責任」(8月26日付夕刊)は、アルビレックス新潟との契約を一方的に反故にした氏に対する怒りに満ちていて、「公正」を旨とする記者の言葉としてはいかがかと思う反面、それを紙面に掲載させる編集部の「自由さ」もまた感じられる。現場を駆け回っている記者が、直接見て、肌で感じたことを生きいきと語る様子は、心地良い。

朝刊には現在の社会・政治情勢が直接に反映され、硬質でとげとげしい紙面になりがち。夕刊はそれらをオブラートで包み、「なるほど」と思わせる視点から問題への切り込みをしている。ソフトであると同時に、ニュースに別な輝きを与えているようで、読んでいて気持ちの落ち着くことが多い。夕刊の特色を十二分に生かそうとしている編集部の努力が見えてくる。

夕刊から離れるが、朝刊で一つ取り上げたいコラムがある。「斎藤次郎・なんでも相談」(毎週金曜、家庭欄)。埼玉県在住の評論家である斎藤氏が、県内読者からの悩みや質問にも丁寧に答えている。もう15、6年続いているという。氏の言葉に、小児科医として多くを教えられる。3日付では、障害のある子どもを持つ匿名の母親に対して、「必要があれば、ぼくが会いに行き、これからのことを相談しましょう」と話しかけ、自身の住所を掲載している。相談者に対して、心の奥底から訴えかける氏に感動を覚える。これからも新潟の読者を暖かく見守っていただきたい。

明日は敬老の日。新潟日報が、老人へはもちろん、子どもたちや社会的弱者へも優しさにあふれた紙面であり続けることを願っている。