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2006年06月23日

立ちはだかる山

 重い気持ちの一日になってしまいました。朝早く起きて、サッカーを観戦してしまったのが、そもそもの始まり。日本対ブラジル戦。前半で日本が先制ゴールを決めたところでは眠い目も吹っ飛び、頑張って起きた甲斐があった!などと思った者でした。でも前半の最後、ロスタイムでの失点で同点になり、意気消沈。どうもブラジル選手を本気にさせてしまったようで、後半はほとんどワンサイド・ゲーム。まるでブラジルのシュート練習に付き合わされているかのようでした。

 終わってみれば、大量得点をとられての敗北。そして日本の一次リーグ突破への夢は泡となって消えてしまいました。試合後に中田選手が言っていましたが、これが日本の実力。そこから始めていかなければいけないのですよね。過剰な期待を持っていたことの方が問題だったのかもしれません。次をめざして、またがんばって下さい。

 気持ちを重くしているものがもう一つあります。奈良で起きた高校生による一家3人の放火殺人事件です。昨日の「院長ブログ」にも書きましたが、この事件の背景や犯行の動機を考えると、胸に鉛を打ち込まれたかのような苦しさを感じます。

 お父さんは医師。離婚後にこの長男を連れて再婚。長男にとっては義母になる方も、また医師。本人も医師を目指して、受験指導で有名な中高一貫校に入学し、勉強をしていたとのこと。現役の医師が二人と、将来の医者の卵が一人いる家庭でおきた、とても悲惨な出来事です。職業に限っての家族環境は、私のところとも似ていますので、いったい何があったのか、本当に知りたい気持ちになります。

 長男は勉強のことで父親からずいぶんきつくしかられたりしていたとか。長男が同じ職業につくことへの父の期待が大きかったとも報じられています。長男は、それに応えたい気持ちと、でもなかなかうまくいかないこと(勉強の成績があがらない、あるいは医師になることへの疑問もあったのかも)ことから来るマイナスの気持ちとの間で、揺れ動いていたことでしょう。思春期のまっだなか、自分の人生を親であっても他人に決めてもらうなんてイヤだという、当然の気持ちも持ち合わせていたでしょう。それがだんだんと父親を拒否する気持ちになっていたのかもしれません。

 でも、なぜ父親を殺さず、義母と幼い弟・妹を犠牲者に選んだのか。本当は直接に父を抹殺してしまいたい思いがあったのかもしれません。でも、それをするにはあまりに大きな存在だったのでしょう。自分の将来像としてあこがれるのではなく、あるいは理想像として心の中であたためるのではなく、逆に自分の目の前に立ちはだかり、絶対に超えられない大きな山のように見えていたのかも。それは否定したいけれど、そう思えば思うほど自分の存在を脅かしてしまう。自分とは何? 何のために生きているの? 何をしたいの? そんな答えにならない疑問が膿のようにわき出てきていたのでは。

 父を直接に殺そうとしたこともあったと報道では言っていました。でも父に気づかれ、断念。父に正直に話してもとりあってくれないと思ったのか、実際にやってみたけど無駄だったのかは分かりませんが、結果としては父親との直接対決は回避。その代わりに選んだのが、「父にとって最愛の人と物を破壊する」という行為でした。

 自分とは血のつながりのない義母は、父にとって最愛の人。父の愛情は、けっして自分には向けられていない。その人と、その人の子どもを父から奪い取ってしまい、自分たちの住む家を消し去ってしまうことによって、父へのかなわぬ思いが満たされると考えたのではないでしょうか。

 自分にとっては絶対者である父の存在を否定したいけれど、それができないところに、長男の心の核心部分があるように思います。単なる恨みではありません。自分を心から愛し、自分の存在を最高に肯定してくれる存在であることを、父の中に求めたのだけれど、かなわなかったことが、彼の人格に大きな偏りを作ったのではないかと思うのです。

 自分とは何かを問い続ける思春期にあって、それはどうでも良いこと、そんなことより勉強しろ、成績をあげろ、親の言うことを聞いていればいい・・などと働きかけてくる大人たちは、百害あって一利なし。子どもたちの心を踏みにじり、健全なアイデンティティーの確立はできてこないでしょう。

 それに反発し、自分なりの道を進める子どもたちは、苦労しながらも自分らしさを作っていきます。強く生きていくことができます。心豊かになってくれます。しかし、周囲の圧力に負け、ときには作られた環境の中に居心地の良さを見つけてしまった子どもたちは、形の上では“成功”していくのでしょうが、本当の魂は育っていかないことがあります。

 今回の長男の心の軌跡がどんなものであったか、ぜひ知りたいところです。その中から、彼の苦悩がどこからきているのか、重大な事件を起こしてしまった心の歪みが何によって作られていったのか、真摯に考えてみたいと思っています。

 この問題・・考えれば考えるほど、心が重くなっていきます。

投稿者 tsukada : 2006年06月23日 20:53