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2006年07月20日

2つの殺人事件はなぜ防げなかったのか

 梅雨末期の大雨による被害は、各地でそうとう深刻になっています。今日は九州や四国で大雨になっているようですし、明日はまた中国や中部・北陸地方でまた大雨が降るとのことです。すでにそうとうの水が土の中にしみこんでいます。災害の発生がいつおきてもふしぎではありません。くれぐれもご注意下さい。

 新潟は今日は良いお天気。久しぶりに青空を見たような気がします。でも明日はまた大雨になるようです。天気予報によれば、午後3時に1時間あたり15ミリもの大量の雨が降るとのこと。またもや梅雨空に逆戻りしてしまいます。昨日の「院長ブログ」にも書きましたが、土曜日(22日)は「子育てフォーラム」を開催します。明日の大雨で被害がでないことを、そして明後日は良いお天気になってくれることを、ひたすら祈っています。

 ここ数日で秋田県で起きた子ども連続殺人事件に大きな動きがありました。隣人の男の子を殺害したとして逮捕されていた女が、自分の娘も殺していたことを自供し、再逮捕されたのです。何ともおぞましい決着なのでしょう。我が子を殺したあと、何食わぬ顔で生活をし、被害者を演じる一方で、友だちの男の子を殺害したのですから。犯行の動機や経過は、普通の人にとっては理解しがたいものがあり、その意味では猟奇的殺人事件の様相ももっています。

 まだ分からないことがいろいろあります。まずはその動機。自分の娘を殺害したのは、「うっとうしいから」「イライラしたから」などと供述しているように、自己中心的な性格がそのベースにあるようです。もともとこの子は虐待を受けていたのであり、その延長で今回の事件をとらえる必要があります。このことはあとでまた触れます。

 二つ目の殺人事件については、まだ動機が十分解明されていないようです。娘の最後の目撃者だったから、などとも言われていますが、おそらく真相は違うのでしょう。犯人が、最初の事件のあと、事故だとした警察や世間に対して執拗に事件性のあることをアピールしています。この点が、犯人の心理をひもとく鍵になります。

 当初から警察の捜査は問題がありました。被害者を発見したのは一夜明けた翌日。自分が犯人であることは棚にあげて、娘が冷たく暗い川の中で寂しい思いをしていたのは。すぐに見つけることができなかった警察がいけないのだ、と考えてもふしぎではありません。転落場所とされた地点も違っていて、警察の捜査がずさんであることに「信頼を置けない」と思ったかもしれません(何しろ、正しい転落場所を知っているのですから)。その上、殺人事件であるにも関わらず事故だなどという間違った判断をしたのですから、警察に対して不信感を抱いたのも当然でしょう。

 自分の娘の死が事故で終わってしまうのは、自分の存在を否定されるに等しいとまで感じたのではないでしょうか。それが次の事件の動機になった可能性が高いと、私は思っています。近隣でまた子どもが命を落とし、それが事故ではなく明らかに殺人事件であれば、警察に対しても、世間に対しも「だから私が言ったでしょう」と言うことができます。それによって、自分のアイデンティティーを保つことができると信じていたのでしょう(もちろん誤ったアイデンティティーですが)。

 以前の「院長ブログ」でもお話ししていますが、犯人の行動や思考様式は常識の範囲では見当も付かないものです。境界性人格障害、または反社会的人格障害として良いのではないかと考えています。そうであれば、上述したような考え方が出てきても一向におかしくありません。自分がしでかしたことではあっても、それを他人の責任にしたてあげることはいとも簡単なこと。意識することなく、やってしまいます。相手のミスには敏感に反応し、それを厳しく批判することもたけています。何より、罪悪感を持ち合わせていません。

 こういった心理状態にいる人が存在することを、知っておく必要があります。普通の人とは違って、悪意を持っている人が、ほんとうにいるのです。そして、それらの人たちが犯罪を犯す可能性が高いわけですから、犯罪者に対しては普通の思考方法が通用しないことがよくあることなのです。

 警察の捜査については、いろいろと批判がでています。おそらく初動捜査もまずかったのでしょう。犯人を早く捕らえていれば、二人目の犠牲者はでなかったでしょう。警察の責任はとても重大です。捜査方法などについてはこれからしっかりと検証されることと思いますが、ぜひ取り組んでもらいたいのは、犯罪者の心理状態を把握することのできる訓練です。

 最近のテレビ番組によく「犯罪のプロファイリング」という言葉が出てきます。アメリカFBIで仕事をしているプロのプロファイラーの活躍も紹介されています(その番組にこの犯人も「被害者」として盛んに出ていたのは、皮肉な話ですが)。詳しくは分かりませんが、犯罪者の心理を読みほどいていくのが、その仕事のようです。特殊な思考をする犯罪者の心理を、普通の捜査官が分かろうとすることの方が無理があるのかもしれません。日本の犯罪捜査にも、こういったプロファイラーが必要になっているのでしょうし、少なくとも専門の犯罪心理学者などに早い段階から加わってもらうことも、積極的に考えていくべきかと思います。

 話が長くなりましたが、最後にもう一点。この犯人が親として子どもに行ってきたのは、虐待です。必要な家庭的ケアを十分に受けてはいなかったようです。

 ある番組で犯人が語ったことが気になっています。娘があまり入浴していないことについて、それは娘がお風呂が嫌いだからというのです。娘に「あなた最近くさいんじゃない?」って言って、無理矢理入浴させたのだと。お風呂が嫌いな子どもって、まずいません。もし嫌いでも、だから1週間も入浴しないでそのままでいられる「普通の親」は、それ以上にいません。親がするべき養育をしていないために起きている事実を、子どもに原因があるというように言い放ち、子どもの責任に転嫁しています。これは典型的な「境界性人格障害」の思考パターンです。

 食事、遊びなど、毎日の生活の中で、こういった不適切な養育が行われていたようです。それは周囲の大人たち(地域や学校の)がみんな分かっていたのだとか。そうであれば、どうして虐待が食い止めれなかったのか。こういった事件が起きた後、実はあそこではこうだったんだ・・という“証言”がたくさん出てくるけれど、それでいいのか疑問に思うのです。同じ社会に生きていて、大きな意味でどの子どもに対しても、どの大人も責任をもっています。子どもが虐待されているようだと知ったとき、取るべき行動は何だったのでしょう。見て見ぬ振りをしていたのだとしたら、彼女を失ってしまった原因の一つに、虐待を食い止めることができなかった社会の問題がある・・そんなふうに考えるのは、酷なことでしょうか。

 「虐待」というと、暴力をふるう場面を想像しがちですが、それだけではありません。満足な食事をあたえない、入浴をさせない、清潔な衣服を身につけさせない、必要な医療をあたえない、などという行為は「ニグレクト」(養育の放棄)と呼ばれ、これも虐待ですし、日本で最も多い虐待だと言われています。

 「虐待」という言葉よりも「不適切な養育」とした方が、もっと幅広くとらえられるかもしれません。英語では「maltreatment」という言い方も一般的なのだとか(「mal-」は「・・ではない」という意味の接頭語、「treatment」は「対応、対処」などという意味があります)。

 今回の事件を、異常性格者が起こした特殊な出来事と考えたのでは、日本の社会は少しも良くなっていきません。警察の問題とともに、虐待を防ぐことができなかったという問題に対しても、十分に取り組んでいって欲しいと思っています。

投稿者 tsukada : 2006年07月20日 22:41