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2006年10月25日
受験生に試練
富山県の高校で明らかになった「履修漏れ」には本当にビックリしています。今の3年生全員が、社会科の中の世界史など1科目を履修しておらず、このまで卒業できないという事態になっているということです。
「指導要綱」では高校2年で世界史を必修、日本史と地理のうちのどちらか1つを選択とし、2つを履修するように求めています。受験に直接関係ないなどの理由で、1科目だけを勉強していたということですが、教育委員会に対しては、2科目を履修したように「偽装」していたということです。
今日のニュースでは、同様のことが岩手県内のいくつかも高校でも行われていることが発覚。もしかしたら同じようなことが、ほかの高校でも行われていた(行われている)可能性があります。
生徒さんたちは大変なことになっています。大学受験の追い込みのこの時期に、社会科のうちの一つを集中して勉強しなくてはいけないのですから。センター試験までもう3か月を切っています。50分の授業を70回受ける必要があるのだとか。生徒たちの気持ちは暗澹たるものがあることでしょう。
学校側は「生徒から要望があったから」などと言っていました。冗談は止めて下さい。生徒が要望があれば、何でもするのですか? まるで生徒たちがいけないような言い方をするのは、自分の責任逃れでしょう。卑怯ですよ。
「日本史や地理の中には世界史の内容が含まれるから」というのも、「理由」にあげていました。社会科という大きな単位の中での教科ですから、そんなことは当然です。極端に言えば、英語の授業でも国語の勉強になる部分もあるでしょう。数学や物理などの授業を受けるのは、国語の論説文の勉強にもなっています。教科が違っているから別々の勉強だということではないのは、当たり前のこと。それでも勉強の中身が細分化され、教科があるのは、それらがある程度独立していて、学問の体系として確立しているからであり、それぞれを別個に勉強することが意味あるからです。
もし本当にそう思うのであれば、現場の教師として、文部科学省に対して教科の教え方を再編成するよう、きちんと提案すべきでしょう。プロとして教壇に立ち、生徒に学問を教えているのであれば、そこまでするのが責任ある態度ではないですか?
教育委員会に対しては虚偽を報告をしています。1科目だけの履修では十分ではないことを知っているからです。富山の例では、こういった変則的な方法は昨年度だけで中止し、今年度は2科目を履修させているとのこと。つまり、この方法が問題があることを認識したからこそ、変更したわけです。
であれば、どうしてその段階で(つまり今年の4月)対応を取らなかったのでしょう。起こしてしまった間違いは、時間をさかのぼって直すことはできません。でも、早く対処することで、そのあとのダメージを少なくすることはできました。受験のわずか数か月前になってやっと対応を始めるのは、遅すぎます。
きっとその段階で教師たちの間でいろんな議論があったのかと思います。でも、最終的に学校がとった選択は「問題解決の先延ばし」でした。その犠牲になるのは、生徒たちです。
学校の先生は、子どもたちにとってある意味での「規範」です。教師たちの行動を見ながら、それを自分のものに取り入れていこうとします。こんな問題がおきた時に、その場でなしうる最大の努力で最良の選択をしていたら、生徒たちはそれから学ぶものも多かったことでしょう。
生徒たちには、教師たちの姿がどんなふうに見えたのでしょうか。時には反面教師も必要なのかもしれません。「あんなふうにだけはしたくない」なんて思われていたら、寂しいですね。教師たちには、できれば「良きモデル」となってほしいかったです。
それにしても生徒さんたちの気持ちを考えると、憤りを覚えます。私自身も、私の子どもたちも大学受験の経験があり、この時期がいかに大切か、良く分かりますから。かける言葉もあまり思いつきません。ありきたりで申し訳ないのですが、受験生たちには「負けないで、頑張って!」と声援を送りたいと思います。
投稿者 tsukada : 2006年10月25日 19:10