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2006年11月18日
子どもたちの自殺から思うこと
このところ、毎日にように子どもたちが自殺していると報道されています。その多くはいじめが関係しているとも。自殺を予告する手紙が文部科学省や教育委員会などに相次いで寄せられ、校長先生などの自殺もおきています。先日の「未履修問題」がおきたばかりですが、いったい日本の教育界はどうしちゃったのでしょう。
誤解を恐れずにお話をしますが、いわゆるティーンエイジャーは自殺をしやすい年頃です。思春期に入って、自分とはいったい何者かということを問いかけ始め、その中からよりしっかりした自我が形成されていきます。しかし、それは同時に周囲の人たちとの関係が、必ずしもうまくはいかないことを意味します。自分は自分、他人は他人と分けて考えられるようなる一方で、完全に独立した存在ではないことにも気づいてきます。
一定の関係の中で、お互いの存在を認め合うことが、うまくできるようになってくれればいいのですが、なかなかそれがいまくいきません。自分を強く押し出すと、周りから押し返され、へこんでしまいます。でも、せっかくつかみかけた自分自身を失いたくない。そこに、心の葛藤が生まれます。
そのエネルギーが大きい時、思春期の子どもたちは自分の存在を無にしてしまうことを選びます。自殺です。そのままにしておくわけにはいかず、しかし、周囲に強くあたることは自分の求めている人間関係を自ら否定してしまうことにも気づいているのかもしれません。
石原都知事は、もっと強くなれと言いました。そういった一面も、確かにあるでしょう。でも、普通の人たちはそれができないから自殺するんです。周囲のことなんて何も気にならない、自己愛性の強い石原氏ならではの考え方です。
多くのケースではいじめが直接的、または間接的に関係しているようです。もちろん、いじめはいけないことです。でも、今の日本の大人たちで、本当にいじめに対して正面から立ち向かっている人がどれくらいいるのですか? 日本の政治も、教育も、これだけの腐敗、いいかげんざ、人権無視があって、でもそれを平然と行ったり、黙認したり、ときには利用したりしている大人たちが、どの顔をして子どもたちに「いじめはいけないん!」って言えるのか、不思議でなりません。
子どもたちは大人の様子をちゃんと見ています。そして、そこからとても大切なものを学び、自分のものにしていきます。子どもたちにとって、生きていくうえでの規範(モデル)となれるような大人が、家庭にも、学校にも、地域にも、そして社会全体にもぜったいに必要なのです。年齢が小さければ小さいほど、身近な人たちがそうでなくてはいけません。そんな目で見ていただくと、今の社会がとても貧相に見えてきませんか?
でも、やっぱり子どもたちにはぜひ伝えたいです。「死にたくなる時もあるだろうけれど、死んではいけないんだよ」と。死んだら楽になるのではありません。死んだら終わりなのです。楽しいことも嬉しいことも、もう来ません。
「死」はいずれやっては来ますが、自分でそれを選んではいけないのです。なぜって、それが私たちに与えられた命だからです。辛いこと、イヤなこと、納得できないこと、ばかげたこと・・みんな一人で背負わなくていいだよ。そう思うのは、あなたがしっかりとした大人に近づいているからなのだから。良識をもち、正しい判断が少しずつできるようになってきたからこそ、みんなとうまくいかないだけなのだから。
そんな言葉を、子どもたちに伝えてあげたい気持ちでいっぱいです。もうこれ以上、子どもたちの自殺がおきないことを、そして子どもたちが穏やかで幸せに過ごせるよう、心から祈っています。
投稿者 tsukada : 2006年11月18日 21:12