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2007年03月01日
「自殺は卑怯」のその後
今日から3月になりました。例年ならまだ雪に覆われているはずなのに、今年は天変地異。全く雪がないどころか、“春のお印”=スギ花粉が大量に飛散しています。このまま行くと、夏の訪れも早くなるのでしょうか。
今日の「朝日新聞」の「声」欄に、「『自殺は卑怯』冷酷な言葉だ」という投稿が掲載されています。2月12日の投稿(「『自殺は卑怯』胸に残る一言」)に対する反論です。
この「院長ブログ」でも取り上げましたが、自殺した人に「卑怯者」というレッテルを貼ることが、どれほどその周りにいる人たちを傷つけるか、想像に難くありません。高校教師を職業とする方が、公の紙面にこのような意見を発表することに対しても、残念な思いを通りすぎで怒りにも似た感情をもってしまいました。
お子さんを自殺で亡くされた方が、反論の投稿をされ、掲載されたのが今日の「声」です。親として何が悪かったのかを自問自答し、周囲の何気ない言葉に傷つき、辛い毎日を過ごしてこられたことをお話になっています。その上にさらに「卑怯」と呼ばれることが、耐え難い苦痛であるとも。
私も同様の趣旨の投稿をしていましたが、どうも採用されなかったようです。やはり、直接関係のある方のご意見の方が、より強く訴えることがあるからでしょう。
ということで、私の投稿は没になったようですので、ここで紹介させていただます。誰が卑怯なのか、についても、短い文ではありますが、論究しています。どうぞお読みになって下さい。
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「自殺は卑怯」とする教員の投書がありました(2月12日付け)が、本当にそうなのでしょうか。
「卑怯者」というレッテルを貼ることは、ご家族にさらなる苦痛を与えるだけで、本質的な解決にはなりません。
生きていく中で生じるトラブルの最終的解決として「死」を選んでしまうのは、自分に対して自信がもてないから。自尊心をしっかりと持つことが、前向きに生きていこうとする力を生みます。
「自殺したら卑怯者と呼ばれる」と思わせることは、自殺を根本的には予防しません。すり減ってしまった生きていく力を、かえってゼロにしかねません。
とくに「いじめによる自殺」は深刻です。いじめの特徴は多人数対一人で行われます。いじめをする者たち、つまり集団で一人の子どもに精神的・肉体的暴力を加える者たちこそ「卑怯者」です。
さらに、いじめに直接は加わらないが、その事実を知りながら「静観」している子どもたちも大勢います。善悪の判断を停止させ、「見て見ぬ振り」をする者もまた「卑怯者」です。
子どもたちには「自殺するのは卑怯だ」と言うのではなく、「いじめることや、それをやめさせないことは卑怯だ」と教えてほしいのです。
投稿者 tsukada : 2007年03月01日 22:22