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2007年04月17日
銃とテロ
アメリカの大学で銃乱射事件が起き、32名の学生や先生方が亡くなりました(犯人も自殺しているので、死亡者の総数は33名)。アメリカ史上、最悪の犠牲者がでる大事件でした。
アメリカ国内に銃が蔓延し、これまで何度もこういった事件が起きるたびに銃の取り締まりを厳しくしようという声が起きているにもかかわらず、実態が少しも変わっていないことを知らされました。つくづく怖い国だと。
そう思っていた矢先、日本でも銃による犯罪が起きました。長崎市長が暴力団幹部に撃たれ、心肺停止状態になっているという報道です。驚きました。厳しく規制されているはずの日本でも、拳銃を所持し、それを使って犯罪を起こすことが可能だったなんて。
アメリカと違って、日本では一般市民にまで銃が行き渡っているわけではありません。でも、暴力団のようなアンダーグランドではそうではないようです。暴力団の抗争事件では、銃の発砲がときどき起きています。彼らはそうとうの数を所持し、いつでも使える状態にあることは、公然の事実なのでしょう。
それなのに、どうして警察は摘発し、銃を取り上げないのでしょう。暴力団に甘くはないですか? 適当に泳がせているのではないですか?
日本での事件は、現職市長をねらったテロだという点をしっかりと認識しておく必要があります。たまたま起きた発砲事件ではないのです。
何かのトラブルがあったと伝えられていますが、意見や考え方の違いがあるにせよ、それを銃という暴力によって解決しようということは、断じて許すことはできません。社会が成り立たなくなります。
まして長崎ではちょうど市長選挙の真っ最中。その候補者を「殺すつもり」で銃撃したことは、日本の政治以上、まれにみる凶悪な犯罪です。
「テロに屈しない」というのは、「9・11事件」のあとの世界の“合い言葉”になりました。実際にブッシュ政権が行ったことが正しかったかどうかは別として、テロを許さないというのは、社会の平和や安全にとって、とても大切なことです。
それなのに安部首相が出したコメントが「捜査当局において厳正に捜査が行われ、真相が究明されることを望む」という通り一遍の言葉でした。その程度の認識しかないのですね。
日本中を震撼させる事件が起きたのですから、国民に対してもって強力なメッセージを出すことができないのでしょうか。一国の総理大臣が、今回の事件に対して強い怒りをもち、強い決意で臨むことを、示してほしいと思うのですが、それは無理ですか?
例えば「テロには断固として対処する」「銃で言論を抹殺する行為を決して許さない」「日本から違法な銃所持を完全に無くすため、警察当局はあらゆる努力を惜しまない」「暴力団を壊滅に追い込む」・・そんな言葉を聞くことができたら、今夜、日本人はもう少し枕を高くして休むことができているかもしれません。
もっとも、ただの人気取りだったり、リップサービスだと分かってしまうと、より落胆してしまうので、なかなか突っ込んだ話ができないのかもしれません。本気でやる気がないから、あとで困らないように役人が書いたような形だけのコメントしかでてこないのでしょう(実際に役人が書いたのだと思いますが)。
何はともあれ、まずは銃弾に倒れた長崎市長さんの無事な回復を祈りたいと思います。
投稿者 tsukada : 2007年04月17日 23:59