2007年07月23日
花火大会は?
中越沖地震の発生から今日で1週間。11人目の死亡者が出たと、さきほどのニュースでは伝えていました。いまだ自宅に戻れず、避難所暮らしをしている方も数千人おられるそうです。心身の疲労も限界に近づいていることでしょう。ほんとうに1日も早く元の生活に戻られることを願っています。
話題は変わります。今日7月23日は当地(上越市)の夏祭りである祇園祭の始まりの日です。29日までの1週間、多彩な催しが予定されています。
でも・・どこで祭りが始まったのか分からないくらい、静かです。にぎやかなのは参議院選挙の宣伝カーくらい。いつもの日と全く変わりありません。こんな年はなかったはずなのに・・。
それは震災のためではありません。すぐ近くで大きな地震があり、今でも多くの方が困っている状況なので、お祭り騒ぎはいかがなもの・・そんな気持ちがないわけではありません。でも、実はそれでは困る面もあります。
観光を県の産業の柱にすえていますので、“お祭り”は大切。それがなくては、観光客をお呼びすることはできなくなります。実際に地震後は当県への旅行をキャンセルする方が多いのだか。地震そのものよりも、原発事故による放射能汚染を心配されている方も多いと聞き、がっかりです(実際に漏れた量はごく微量であり、環境への影響はありません。あたかも日本海側がそうとう汚染されたというようなイメージが作られてしまったことは残念と言わざるを得ません。「風評被害」は実に怖いことだと、実感しています)。
そんな背景がありますので、柏崎市の隣である上越市でも、むしろ元気にみんなでお祭りをもり立てることが、今後の復興に向けても大切です。それなのに・・祭りが見えてきません。
原因は分かっています。祭りの始まり「ある催し物」がないのです。それは花火大会です。
上越市の夏祭りは“二部構成”になっています。20数年前に合併する前は高田市と直江津市の両方に、それぞれの祭りがありました。それを「合体」して1週間もの長期の祭りが今の姿です。一緒になったと言っても、実はそれぞれはそのまま行っていて、真ん中の1日を同じ日にしているだけ。
それぞれに歴史があるので、一本化するのはなかなか難しいという事情があるのでしょうね。それぞれの行事がそのまま残っているので、花火大会も2回。高田で1回、直江津で1回。高田の花火大会が祭りの初日である7月23日と、長らく決まっていました、一昨年までは。
10年くらい前までは高田公園の中で打ち上げていました。そこはまさに街の真ん中。私が幼い頃からずっとそこで行われていました。確かに規模は小さかったのかもしれませんが、子どもの私にはとても大きくて見事な花火だったことを、今でも良く覚えています。
小振りではありますが、街中ですから気軽に出かけてきて、楽しむことができます。直江津の花火が港と海を使って大きな花火を打ち上げていることからすると見劣りがしますが、それでも高田地区の市民にとっては楽しみでした。
しかし、やはり大きな花火を上げたいという期待があったようで、開催地を変更。近くの河川敷で打ち上げるようになりました。これがあだとなった形です。会場整備や警備の費用がそうとう高くなってしまったというのです。そこに不況のためにスポンサーが集まりにくい事情も。
かくして「高田の花火大会は隔年開催」と決まり、昨年はお休み。今年は2年分の費用をつぎ込んで大々的にやる!と思っていたら、数か月前に方針が変更されました。それは「高田の花火大会は中止する」というものです。費用に見合うスポンサーがいないというのが、もっぱらの理由だそうです。
でもちょっと待ってください! 昨年と言っていることが違うじゃないですか。去年は「来年はするから、一回はお休みです」とアナウンスしていました。それが市民への約束です。その後の状況がどのように変わったのかは分かりませんが、「公約違反」であることは明らか。
昨年の段階で、今後の開催の見通しが立っていなかったのなら、どうして「隔年開催」と決めたのでしょう。問題を先送りするのは日本の得意技だということですが、こんなところで使わなくても、とあきれるばかりです。
実は昨年から決まっていたのではないか、とも思っています。いきなり「中止」と発表されれば、反発する声が大きくなるでしょう。とりあえず「来年はあるのだから我慢して」と懐柔しておくことで、市民の不満が爆発しないように上手に“軟着陸”させた、というのが私の推測なのですが、いかがでしょう。
開催が今後もとても厳しいというのが分かっていたわけですから、そうであれば「高田の花火はこれが最後!」と宣伝すれば、それを惜しむ企業などからそうとうスポンサーになってもらえたはず。一般の市民の方からも多くの協力が得られたことでしょう。チャンスをみすみす逃してしまったように思います。
詐欺まがいの決め方をしたおかげで、「最後の花火」を心の中に刻むこともできなくなりました。一昨年の花火大会が、高田地区の最後だったのに。長い歴史を閉じる、文字通り「最後の花火」を、市民に心ゆくまで見てもらうことができずに、いつのまにか終わってしまいました。
夏祭りなのですから、じめじめ・うじうじした様子は似合いませんよね。ぜひ「シューーーー・ドーッン」と大きく大輪の花を夜空に咲かせて、有終の美を飾って欲しかったです。今となってはもうかなわぬ夏の夢物語ですが。
かくして、今日から夏祭りだというのに、その面影がどこにも見えません。残念なことです。
投稿者 tsukada : 2007年07月23日 22:42