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2008年03月25日

誰が守ってくれるのですか?

 23日、茨城県土浦市のJR常磐線荒川沖駅周辺で連続殺傷事件が起きました。一人の方が亡くなり、7名の方が重軽傷。犯人は近くに住む24歳男性。19日にお年寄りを刺し殺したことで指名手配中の事件でした。

 すでに報道で伝えられている通り、警察の対応はひどいものでした。駅周辺で犯人逮捕のために配置されていた警察官は私服で、無線機も所持せず。連絡は携帯電話で行っていたというのですから、あきれます。

 県警本部は一般市民からの電話で連絡が入って初めて事態を把握。そこから携帯電話で警察官に指示を出したというのですから、取り逃がすのも当然でしょう。

 指名手配されている重大事件の犯人が、警察をあざ笑うように「捕まえてごらん!」と電話してきている中で無差別殺人はおきました。警察という組織は、いったい何をするところなのでしょう・・。

 県警の事後の対応にも怒りを覚えます。会見では「十分な対応だった」と言い放っていました。ちょっと待ってください。あなたたちは市民の安全を守る立場の人間でしょう!? これだけの重大犯罪が、警察の厳重な(?)警戒体制の中で起きてしまったという事実をまずしっかりととらえて欲しい。市民を凶行から守ることができなかったことを、まずは認め、謝罪してほしい。

 警察の対応に間違いがなかった・・もし本当にそうなら、この事件は起きなかったはず。少なくとも死者がでるような惨劇にはならなかったはずだということを、どうして自分たちが認めることができないのでしょう。

 具体的にどんな対応をしていれば良かったか、それは私たちには分かりません。でもそれを検討し、次の捜査や警備に活かすためには、まず今回起きたことの事実をしっかりとみつめる必要があります。「間違いはなかった」としてしまったら、何も学ぶものがなくなります。今回の事件で不幸にして殺された方は「犬死」で終わってしまいます。

 あの会見を見て大いなる違和感を覚えてしまうのは、警察幹部がそんな視点で物事を考えていないからなのだと思います。頭の中にあることは、組織を守ることなのでしょうか? 間違っていたと認めることは警察組織を破壊することになるとでも。とんだ勘違いです。市民を守ることはできないけれど、自分たちの組織はしっかりと守ろうとしている・・。

 それとも組織に中にいる自分たちを守ろうと必死なのでしょうか? 責任をとらされることが怖いのですか? もしそんな人が警察のトップにいるのなら、自分の命をなげうってでも市民を守るなどということを警察に求めることが、そもそも無理な注文なのでしょう。

 日本は安全な国だと言われてきました。でもけっしてそうではないのだということが、だんだんと分かってきました。いつどこで銃や刃物で襲われるかもしれないというのが、実は今の日本なのかも。そしてそんな危険から守ってくれるはずの警察も、実はそれほどの力も気持ちも持ち合わせていないのかも。私たちは自分や家族を守るために、自ら武装しなくてはいけないのでしょうか。そんな日本に、もうすでになっているのでしょうか。

 「院長ブログ」を書きながら次第に夜が更けてくると、外に広がる闇の世界にふと恐怖を覚えます。

投稿者 tsukada : 2008年03月25日 22:55