2008年04月24日
厳罰化
未成年であっても、おかした罪の重さによっては死刑が適応される・・。世論が少年犯罪に対しても厳しい処分を求める傾向にあるようで、裁判所の判断もその方向をしめしています。
少年だからという理由だけで、罪が軽くなるというのも確かにおかしなことです。被害者の身になれば、犯罪者の年齢は関係がないのですから。
将来の更正に期待することも必要ですが、しかし起こしてしまった犯罪に対してきちんと向き合い、その責任をとることもまた大切なこと。罪を償うことが免除されるということではないはずです。
一方で、少年犯罪に対して厳罰に処するだけで、今後その発生が少なくなるのか疑問です。犯罪は社会の中でおきています。個人の生育歴やパーソナリティーが大いに関係していることは確かですが、しかしそれもその社会や時代に中でゆがんだり、制限されたりしているという面を忘れてはいけないと思います。
その犯罪がおきた原因を、単に犯罪者一人の問題だとしてかたづけるのではなく、社会のあり方、家庭のあり方など、多角的に検討し、より良い方向に変わるよう努力するべきです。それなくしては、同じ犯罪が繰り返しおきてしまうことになるでしょう。
重大な犯罪がおきたとき、その犯人を厳罰に処すことができれば、社会全体がほっとして、もう終わりだと思いこんでしまいがちです。しかし、本当にそれで終わりにしていいのか、と疑問に思うのです。
社会全体が犯罪者に対して怒りを覚えるのは当然としても、みなが石を持って追いかけるかのような態度をとることは良いことではないと思います。私たちに必要なのは、そこから「何か」を学び取ることです。
犯罪に対して厳罰化している今の社会には、どこかおかしなところがあるように思います。そうせざるをえないほど犯罪が多くなり、その程度も凶悪化しているのかもしれません。でも、もしそうだとしたら、それは今の社会そのものがどこかで間違っているからなのではないでしょうか。
厳罰化を望む私たちの心の中に、社会に対する不満があり、いらだつ気持ちがつのっているのではないか。イライラを犯罪処罰の中で解消しようとしているのではないか。
こんなことを言うと「犯罪者を擁護している」と言われてしまいそうですし、そう言われた時に反論できないかもしれませんが、でもどこかで何かが狂ってきているような気持ちがしています。厳罰化の流れがこのまま定着することが、本当に意味で日本の社会にとって良いことなのか、その疑問が頭から離れません。
投稿者 tsukada : 2008年04月24日 23:21