2008年09月29日
政治家という人種
「政治家」という人間は特別な人種なのかもしれません。特に日本では二世、三世の政治家が増え、あたかも生まれつき政治家になることが運命づけられている家系が存在するかのようです。
政治家という家業を継承すべく幼小児期から“大切に”育てられる。親に対しては絶対服従を求められると同時に、周りの人達は絶対服従をする・・そんないびつな人間関係が政治家を作っていくのかもしれません。
格差社会が問題になっています。格差が格差を生む。下流の人間はけっして上流になれない。
収入による格差は教育にも及びます。下流にいる家庭の子どもたちは高等教育を受ける機会も奪われる。かくして教育格差は連綿と続いていくことになります。
逆もまた真なり。上流にいる人間は苦労しなくても上流にいる。教育においてもそう。そして政治家という特殊な階層は、同じ階層の人間を作り続ける。
そうしなくては自分たちの階層を維持できない。下流の人間が政治家階層に入り込むと混乱が生じ、消滅に向かうでしょう。であれば、それを阻止することが特殊な階層にいる人間にとって、手段ではなく目的にさえなりうる。
政治家に世襲制が普遍的に普及しているのは、自分たちの地位温存のための絶対条件になっているわけです。
日本のあり方を唱え、世界の進むべき道を論じるはずの政治家にとって、それに真っ向から反する倫理観しか持ち得ない状況は、すでに政治の死をも意味しているのではないでしょうか。少なくとも、先代からの継承政治家にとっては、政治を語る資格すらないことは明白です。
もっとも、その程度のモラル、あるいは哲学しか持っていない政治家が、世襲政治家だけではなく、広く政治の世界に跋扈(ばっこ)しているのも周知に事実。ならば二世、三世の政治家だけを問題にするのも、また皮相な話でありましょう。
書けば書くほど、情けない政治家たちを頂いている私たち自身が情けなくなっていきます。そんな政治家を選んでいるのは、結局は私たちだからです。
投稿者 tsukada : 2008年09月29日 23:59