« 10月 | メイン | ER »

2008年10月03日

こんにゃくゼリー

 先日、こんにゃくゼリーを食べた幼児が死亡したというニュースがありました。ここ10数年で17人目だということです。

 こんにゃくゼリーは硬くて弾力性もあるので、喉に詰まらせやすいという“内容の問題”を持っています。さらに小さなカップに入れてあるので、容器から吸い込みながら取り出すことになるという“容器の問題”も持っています。

 私も以前、実際に食べてみたことがあります。商品によって違いはありますが、簡単には噛みきれないものも。もしもこれを喉に詰まらせたら、私でも自力では出せないだろう、と実感したものです。

 日本で商品化された食べ物ですが、海外では不評。窒息事故の可能性があるからです。すでに欧米では輸入や発売が禁止されているとか。

 こんな危険な商品を、日本ではどうして禁止できないのでしょう。不思議です。

 メーカーは、すでに「子どもや老人は食べないこと」と大きく表示しているのだから責任はないと言っています。まるで食べる方が悪いと言わんばかり。

 いくら包装に注意書きを書き込んでも、それが守られていないという実態があるわけですから、「注意書き」は意味をなしていません。もし意味があるとしたら、事故がおきた時にメーカーとしてすべきことをしていたという言い訳ができるという点だけでしょう。

 この点が逆に問題を大きくし、長びかせていることに気づかなくてはいけません。つまり「注意書き」があるために、本来すべき規制=製造または販売の中止がなされず、日本の社会では大手をふって流通されているのです。

 昨年だったでしょうか、同様な事件をめぐって民事裁判がありました。結果はご家族の方との和解が成立し、賠償をしています。この時にも思ったことですが、和解の条件に金銭的なものだけではなく、こんにゃくゼリーの製造・販売を中止するとの一文をいれてほしかった。そうすれば、あとに続く被害は食い止められたのに。

 アメリカの民事裁判ではときに桁外れに高額な賠償金を命じられることがあります。「懲罰的賠償金」という言い方をしていたと思うのですが、訴えられた企業がそれ以上“悪事”を働かないようにするためにとられる処置です。

 日本にもそのような制度があれば、企業も社会的責任をまっとうしようとするのではないか、とも思います。日本では来年夏から刑事事件については裁判員制度が導入されますが(その是非については私なりの意見もあり、取り上げたいと思っています)、民事事件についても一般の国民の意見が大いに取り入れられるような制度になっていかないものでしょうか。

 さらに司法や行政の問題があります。欧米では一般の国民を保護するために必要な法律がすぐに制定され、動き出せるのに、日本では遅々と進みません。こんにゃくゼリーの問題でも、厚生労働省と経済産業省のそれぞれが担当ではないといって逃げ回っています。

 先に無責任辞任をした福田元首相の、ほとんど唯一といっていい“業績”である「消費者庁」の構想が実現すれば、この問題も早急に解決されるかもしれません(官僚たちの縄張り意識は猛烈であり、そう簡単ではないでしょうね)。

 でも行政組織だけの問題ではありません。国会は何をしているの!? 法律を作るのは国会の仕事。その法律にのっとって仕事をするのが行政の本来の姿のはず。今はどんなふうになっていますか??

 確かに省庁が法律を制定しているわけではなく、国会がやってはいます。でも法案のほとんどは行政が用意したもの。それを“審議”し、“採決”しているだけ。これでは国会議員としての仕事は十分とはいえません。

 自ら法案を作り、それを議論し、法律を作っていく・・それこそが国会のあるべき姿であり、国会議員の本分であるはず。行政庁が動かないし、動けないのであれば、法律を作って動かせばいい。それだけの話です。

 こんにゃくゼリーについては製造・販売を禁止する法律をすぐに作って、さっと国会で決めてみてはどうですか。その実行を、例えば厚生労働省の担当とすると法律に書き込めば、役人は動かざるをえなくなります。

 霞が関も永田町も、自分たちのためだけに仕事をしている。国民のためにという視点はないのでしょう。ほんとうに困った国です、この国は。

投稿者 tsukada : 2008年10月03日 22:02