2009年02月11日
“発掘”の経過
昨日アップした映像はごらんいただけたでしょうか。今から31年前、NHKの全国放送で実際に放送されたものです。
「お宝」だと言っているのは、私だけ。皆さんにとってはただの古い映像ですよね。一人芝居(?)にお付き合いいただき、恐縮です。
この映像を記録したCDが先週、私のもとに届きました。いま大学で仕事をしている後輩が送ってくれました。
自治医大というのは、とてもユニークな大学です。昨日の院長ブログに書いたように、僻地で将来働くことを条件に医師を養成しています。卒業後は出身県に戻ります。
医学部を卒業し、医師国家試験に合格すると「医師」となります。しかし、この段階できちんとした診療ができる者はだれもいません。その後の研修が必要です。
少なくとも2年間は臨床研修は必須。外科系などではさらに専門的な研修を続けなければ、臨床医として働くことはできません。
今日本では地方の医師が不足し、医療崩壊がおきているといわれています。政府もようやく医学部の定員を増やすなど、何らかの対応をせざるとえなくなってきています。
自治医大は、その設立の時から、そして初めての卒業医師を世に送り出してから、ずっとこの問題に取り組んでいます。設立は昭和47年(1972年)、1期生の卒業は昭和53年(1978年)ですので、30数年の歴史があります。
そんなユニークなシステムをもつ医大ですが、先例はありません。日本で初めての経験。当時は、先が全く見えていない中で、新しい道を模索していました。
今でも自治医大のもつ問題は解決していません。日本に過疎地がなくなり、医師不足の地域がなくなったわけではないからです。いや、以前よりさらに困難な状況に、日本の医療は直面しています。
自治医大の存在意義とは何か、日本の医療の中でどんな役割を果たしてきたか、これからどんな方向にすすめばいいか・・そんな問いかけを絶えず行っています。
そういった動きの中で、私が写っている映像が見直されたのだそうです。卒業医師が抱える問題や、大学自体のもつ問題をはっきり言いきっている、ということで注目されたようです。
しかしこの学生がだれなのかが、当初は分かりませんでした。私は今では地方の小児科開業医としてひっそり(?)過ごしています。卒業してから母校を訪れることもほとんどありません。私のことを知らなくて当然でしょう。
最近自治医大の地域医療学講座に入った新潟県の後輩が、たまたま私のことを知っていて、“指名手配者”の面が割れた、という次第です。(彼は一昨年、天皇が自治医大を視察に来られたときに「天覧講義」をしているというすごい医者です)
先月、彼に会ったときにこの話を聞き、とても嬉しかったです・・当時の映像が長い年月を経て、今また注目されたこと。そして話の内容が今でも色あせていないこと。
私自身も学生時代は医療とはどうあるべきか、自分は医師となって何をすべきか、など真剣にかんがえていました。学生自治会の役員としても仕事もしましたし、医学生を中心に自主的な勉強会もしていました。
たった1分ほどの映像が“評価”されただけですが、私の学生時代の営みの全てが評価されたように感じました。あるいは、私自身の存在が自治医大の歴史の中で認められた・・そんなふうにも感じました。(ここまでくると妄想かも)
その場ですぐに「ぜひ送って下さい」とお願いしたのは言うまでもありません。私のわがままを聞いていただき、感謝です。もうすぐ52歳になりますが、良い誕生日プレゼントになりました。
これからの人生にとって、心のよりどころになりそうな予感もあります。私のアイデンティティーがこんなふうに確立されていった、そんな“証拠”なのかもしれません。それを手に入れることができた私は、幸せ者です。
投稿者 tsukada : 2009年02月11日 23:29