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2009年10月17日
あの素晴らしい愛をもう一度
びっくりし、悲しさがこみあげてきたニュースでした・・加藤和彦さん死去。それも自殺とのこと。何があったのでしょう。どうしたのでしょうか。
私くらいの歳になると、加藤和彦さんはなじみがある方だと思います。音楽家。デビュー作は「帰ってきたヨッパライ」という面白い曲。1967年作ということなので、私は10歳。まだ小学生でしたが、私が初めて買ったレコードだったような記憶があります。
ドーナッツ版と呼んでいたレコード・・今のシングルCDのようなもの。この「帰ってきたヨッパライ」には、別な思い出があります。ものすごい人気で、きょうだいで相談して買ってきたのですが・・その直前に母親から買い物を頼まれたとき、面倒がって断っていました。それなのにレコード屋には行ってきたわけです。その後のことはご想像のとおりです。何十年もたっていますが、今でも悪いことをしたな、と思っています。
話はそれましたが、「帰ってきたヨッパライ」は当時としてはとってもユニークで、コミカルな曲。♪オラは死んじまったダー・・ そんな詩は初めてでした(といっても、生まれてからわずか10年間の経験ですが)。
歌い方も独特。普通ではでないような高い声・・ゆっくりスピードで歌って、それを早く再生しているのだそうです。現在のテクノロジーでは、曲の速さを変えず、音の高低だけを変えるのは簡単ですが、当時の技術では無理。ローテクではあるけれど、でも新鮮なアイデアでした。
この曲を作ったのは「ザ・フォーク・クルセダーズ」というグループ。加藤和彦さんは龍谷大学在学中。ほかのメンバーは北山治さんとはしだのりひこさん。北山さんは京都府立医大の大学生。その後医師になり、京都大学で精神科教授をしていると聞くと、ものすごい人たちだったと分かりますね。みんな、フォーク界の神様のような人たちでした。
「イムジン河」という曲をレコードにしようとしたけれど、直前になって発売できなくなったのは悲しい出来事でした。南北朝鮮している38度線を流れる河のことを歌にしたもの。もとは韓国の歌でしたが、作詞者だったか作曲者だったかを不明としたのが、韓国の人たちを怒らせたという話もあります。南北のどちらかの国に遠慮したのだという話も聞いたことがあります。
真相は分かりませんが、でもとても良い曲です。それがレコード化されなかったことを残念に思ったものでした。曲が伝えようとしている、朝鮮民族の統一というメッセージも心に残りました。分断の直接の原因となった朝鮮戦争から数年経って生まれた私には、直近にこんな悲しい出来事があったのだと知るきっかけにもなりました。
曲はシンプルですが、優しさと悲しみに満ちています。私が中学生のことに発表された曲ですが、当時ギターを練習していた私は、この曲はお気に入り。よく弾き語りをしていました。今でも楽譜を見れば弾き語りできます。
「あの素晴らしい愛をもう一度」もヒット曲。グループを解散したあとの曲のようです。これも当時、若者たちがみんな歌っていました。もちろん私も。
加藤和彦さんのことや、彼の曲をいろいろと思い出しました。私たちに生きることの大切さをおしえ、人生もすばらしさをおしえてくれていた加藤さんが、どうして自らの命を絶ってしまったのでしょう。残念です。
享年62歳。まだまだ若いです。合掌。
PS 「帰ってきたヨッパライ」は酔っぱらい運転で死んで、天国に行った話。そこでも酒を飲んで、かわいいおねちゃんがいるといって大騒ぎしていたら神様に怒られ、天国から追い出されてしまいます。気づいたら畑のど真ん中にいて、生き返ったという、ハッピーエンドの話。
加藤さんも天国に行きかけて、でもまた戻ってきてくれるのでは。そんな気もしていますが・・。
投稿者 tsukada : 2009年10月17日 23:59