2011年06月13日
実は15年の歴史
わたぼうし病児保育室が11年目に入りました。次の新しいステージ・・さて、どんな発展をしていくのか、自分ながら楽しみです。
当院の病児保育事業の歴史は10年間ですが、それは形になっていた部分。その準備段階が5年間ほどありました。当院の開設5周年(1995年)を記念していくつかの事業を展開する中で、地域の子育て支援のために病児保育を行ってみたいと考えるようになりました。
構想5年といったところでしょうか。上越市に働きかけ、市が「病後児保育」を実施することになりました。その結果、2か所の病後児保育室が誕生。残念ながら当院がそれを担当することはできず、その成り行きを見守っていました。
しかし私が思っていたような事業とは思えませんでした。やはり急性期の病気の子どもも、断ることなく預かる「病児保育」を実現させるべく、わたぼうし病児保育室を開設しました。それが2001年6月のことです。
当初は利用者もさほど多くはなく、私の構想は自分勝手な思い込みかもしれないと悩んだ時もありました。親御さんのことを思っているつもりでも、本当のニーズはちゃんと捉えていないのではないのか、と。
でもそれは杞憂(きゆう)でした。半年、そして1年、2年とたつと、受け入れ体制を大幅に強化する必要に迫られてきました。それは「嬉しい悲鳴」でした。
医院2階の小さなスペースで始めたわたぼうし病児保育室でしたが、2004年2月に新園舎を建設。保育士も大幅に増加してきました。
大きくなればなるほど困るのは経営でした。利用料だけではけっして成り立たない事業です。利用者数の増加に伴い、赤字額も年々増加。単年度で2,000万円以上の赤字に増大し、累積赤字は億の単位になっていました(会計は医院と一緒なので、実際には診療収入から補填していました)。
2年前に上越市が新たに「病児保育事業」を始め、当院はその事業を受託することになりました。当院がこれまである意味で私的に行っていた病児保育が、公的な存在となりました。それまでの8年間の歴史も、子育て支援とは何か、病児保育はどうあるべきかをしっかりと固めるためのものでした。
もちろん市の事業を受託することで、経営的にもある程度安定したことは大きな意味合いを持っています。これからも病児保育をさらに発展させるチカラになるからです。
病児保育は毎日が勝負です。急に具合が悪くなった子どもを、その日その日お預かりしています。待ったなしです。今日は預かれないので、明日まで待って下さい、とはいえません。
これからも日々の病児保育をていねいに行いながら、前に進んでいこうと思います。これからもどうぞよろしくお願いいたします。
投稿者 tsukada : 2011年06月13日 22:09