2011年08月08日
LEDで大文字を!?
実に悲しいニュースです。涙とともに、やるせなさもこみあげてきました。
16日に予定されている京都五山送り火で、大震災の津波で倒れた岩手の末で作った薪を燃やす計画でしたが、それをやめた、というニュースです。
この送り火は、亡くなった方のお名前などを書いた護摩木を燃やす、お盆の伝統行事だそうです。今年は東日本大震災の被災者たちが、犠牲になった方々の名前を書いたり、復興への思いを書いたりして、それを「大文字焼き」に奉納しようと、しばらく前から準備をしていました。
でも、震災地の薪は放射能が心配なのだそうです。だから燃やすのをやめるのだそうです。その話を聞いて、愕然としました。
松の中に放射能が含まれているのですか? 事前に検査したけれど、放射性セシウムは検出されなかったそうです(そもそもそんな検査は必要ないわけですが)。それでも怖いのだそうです。
被災地からの薪を燃やすのをやめてほしいという意見が寄せられ、主催者側は断念することに決めたそうです。せっかく検査をし、科学的には何ら問題はないことを証明したのに、どうしたのでしょう。放射能を怖がる世間を怖がっている・・ということなのでしょうか。
東北の物は何でも怖い・・そんな根拠のない話にのっかってしまっていいのでしょうか。それを聞いた東北の人たちはどう思うでしょうか。無念な気持ちをさせられることは想像に難くありません。
さらに、東北のものは何かと怖いんだという「風評」を助長することに加担してしまうことに、思い至らないのでしょうね。二重、三重の意味合いで、今回の決定は被災地の方々に辛い仕打ちとなってしまうことでしょう。
送り火って何なのですか。ただの夏のイベントなのですか? 観光資源? 形だけ楽しめればいいもの?
亡くなっていった方々のことを思い、感謝しながら、今を生きている自分という存在を見直すという意味合いがあったのだと思いますが、そんな精神はもう失われているのでしょうか。
このたびの大震災と大津波で数多くの方が亡くなり、今もって多数の方々が厳しい現実を生きている、復興への道のりもまだまだ険しい・・そんな東北の状況を、被災地の松も燃やしながら、ひとときでも思いを寄せることは、けっして悪いことではないと思います。
そんな思いも必要ない、あくまでも被災地の薪を燃やすことを拒否するというのなら、もう大文字焼きそのものをやめたらいい。それでも大文字を見たいのであれば、薪は焚かずにLED照明を使ったらどうだろう。その方がずっと環境に優しいですよ。現代社会にふさわしい送り火になりそうですが、いかがでしょう。
投稿者 tsukada : 2011年08月08日 22:33