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院長ブログ

豪雨被害

⭐︎災害お見舞い

先日襲った大雨では、新潟県内でも大きな被害が出ました。
新聞記事では「県北豪雨」という名称で呼んでいるようです。
あまりにひどい災害になり、被害の全容が今もってまだ分かっていません。

同じ新潟県ではありますが、当地(上越市)では被害が出るほどの降雨にはなりませんでした。
新潟県はとっても長い(広い)県。
北の端から南の端まで約250キロ。
同じ県というのに、雨の降り方はずいぶん違いました。
冬になると、雪の降り方もとっても違うので、「新潟県」と一言では表現できないくらいです。
(同じ上越市でも違っていますが)

今回の被害については同じ県だということで、とても驚きましたし、悲しい気持ちになりました。
さらに、被害の中心であった村上市坂町地区や、関川村は以前私が住んでいた地域なので、なおさらその思いは強くなりました。

今は上越市に住居を持ち、開業していますが、その前7年間は村上市坂町にいました。
県立坂町病院に勤務。
当時は合併前だったので「岩船郡荒川町」でした。
以来33歳になるまで、そこで仕事をし、子どもたちを育て、生活していました。

26歳で赴任し、初めは病院敷地内にある官舎に居住。
30歳になる頃、一念発起して自宅を設けました。
某有名メーカーに依頼して建築。
荒川町のある場所で、地域の方々と一緒になって生活していたことは、今でも大きな思い出です。

今回は、その家も床上浸水したということです。
子どもがたまたま見ていたニュースで、坂町の国道が冠水し、その周囲に被害が及んでいる様子を見ました。
そして、そこに元我が家が写っていました。

写メを撮って、送ってくれました。
それは確かに、私が建てた家。
設計士と何度も打ち合わせをし、自分たちの生活しやすい設計図を作ってもらい、建設した家です。
病院を退職し、郷里に戻ってくる際には売却してきたので、その家に対する想いは「封印」してきました。

以前、1回だけですが、近くを通ったことがあり、外から元の我が家を見たことがありました。
その時はどうも住んでいる人がいなくて、家が廃れたような気もして、残念な思いもありました。
今、洪水に見舞われた後ではありますが、家の前のカーポート(これも当時のまま)にはクルマが置かれています。
外壁は当時とは違う色で塗られていて、ちゃんとメンテをしてもらっているようです。
周囲には家が多く建ち、田んぼの真ん中のような環境とはもう違うようです。

いろんな思いが込み上げてくる写真ですが、今でも(当たり前ですが)人々が生活している町の様子を見ることができました。
同時に、当時行ったことのある施設などが水害被害にあい、変わり果てた姿になった様子も見てしまいました。
とても悲しい気持ちになった次第です。

今は私は遠く離れたところにいるので、直接のご支援はできません。
でも心の中では、今回の被害から1日でも早く回復し、皆さんに笑顔が戻ってくることを願っています。